小室直樹の「痛快!憲法学」を読む 第7章
公約とは契約である
ここだけは第6章の終わりです。
公約とは選挙民と議員との約束、つまり契約です。……もし、それを(公約と異なる政策に)変えるのであれば、いったん野に下って、新しい公約を選挙民に問うというのが民主主義の常道です。(117P)
契約は絶対に守られなければならない。よって公約も絶対である。
以前メルマガに書いた、以下の「マニフェストについて」も参照してください。
http://zinkenvip.fc2web.com/antho.html#013
契約は破ったか守ったかが明確でなければなりません。マニフェストもそれに則っています。日本の公約はその点、まだまだですね。
英国一の首相、ディズレーリ
ディズレーリが歴史上最も偉大な英国の首相であるという。
それは彼こそが、イギリス議会政治の基本ルールを確立した人物だからです。(122P)
当時のイギリスには、穀物法という小麦の輸入を禁じる法律がありました。しかしこれをどうしても廃止しなければならない状況になったのです。その時、穀物法反対の自由党ではなく、穀物法賛成の保守党が政権に就いていました。そこで同じ保守党のディズレーリが首相に向かって言ったことは、
首相閣下、あなたがそこに座っていられるのは、保守党が「穀物法を守る」という公約を掲げて選挙に勝ったからではありませんか。(125P)
そして、保守党は公約に違反して穀物法を廃止することはできない。ここは自由党に政権を任せるべきであると説きました。すると保守党は彼と同意見のものが多く占めるようになり、やがて政権は自由党に移ったのでした。ここでは公約に関するルールだけでなく、もう一つ重要なルールができました。それは、
「議会のおける論争によって、すべてを決する」というものです。(126P)
多数派工作、つまり金や根回しによるのではなく、言論、討論によって決するのです。
なぜ契約は絶対に守らなければならないのか
これまでに出てきた、国王と貴族の契約、自然状態の人々の(社会)契約、国家と国民の契約(憲法のこと)、選挙民と議員の契約(公約のこと)、それから資本主義における契約(つまり普通の契約)がありあす。憲法、公約、ビジネスにおける契約など、契約というものが非常に重要であるわけです。では、この契約という概念はどこから出てきたものなのか。それは聖書です。旧約と新約とありますが、これは旧(ふる)い契約、新しい契約という意味です。ただし、古いとはキリスト教やイスラム教から見た場合であって、ユダヤ教の契約は今も旧約聖書です。旧約聖書は神との契約の書であり、契約の内容と「契約を守らないとこうなる」というユダヤ人の歴史が書かれています。ここから、契約は絶対に守らなければならないもの、となりました。また、守ったか破ったかが明確に分かるように、契約の内容はこと細かく規定されています。
契約こそ、民主主義や資本主義を支える基礎中の基礎なのです。(141P)
日本人には契約という概念がないため、「私の憲法論」において述べた体系で言えば、「天皇陛下の命令は絶対に守れ」→「帝国憲法は天皇陛下の命令だ」→「帝国憲法は絶対に守れ」となります。そして帝国憲法という天皇と国民の契約(天皇の命令)、あるいは国民と国家権力の契約によって、主権は天皇→国民→国家権力というふうに移り、間接民主制となります。この時、国民と国家権力の契約は選挙における公約です。しかし、「天皇陛下の命令は絶対」からはビジネスにおける契約の絶対は出てきません。そこは資本主義教育でカバーしましょう。
- 作者: 小室直樹
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