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主権について・前半

そもそも主権とは何か

国家は主権者たる国王の所有物なのだから、それを自由に扱うことができる。……まず第1に、主権は慣習法を無視することができる。そして、自分が望む法律を自由に作って、人々に強制することができる。すなわち「立法権」という考えが、ここから出てきます。(小室直樹著「痛快!憲法学」55P)

 主権とは、そもそもジャン・ボダンが発明した概念でした。それによると、国王は宇宙における神の如く、自由に何事をも為し得る。やがて主権者は国民であるということになってくると、国民が神の如き存在になりました。
 もっとも、言葉通りに神の如き存在であるとした場合、おかしなことも出てきます。また、人民主権とか言いながら特権階級が独裁政治を行うこともあります。
 国内だけでなく、国外においても、主権は絶対でした。主権者が誰であろうと、主権国家は国家として主権を有しているのであり、国際社会において神の如く自由に何事をも為し得るのです。もちろん国際法や人道というものがあり、完全な自由はありません。しかし、国際法というものは対等な主権国家同士が契約を結んだものであり、言ってみれば契約の自由を行使した結果、自らを拘束するもので、誰かから強制されるものではないのです。国際社会では、国家より上位の存在はありません。


 さて、主権がそのような絶対的なものである以上、いろいろな矛盾が出てきます。「矛盾」は最強の矛と最強の盾がぶつかる例え話ですが、要するに絶対のものが二つ以上あると、必ずそれは両立し得ないということです。
 ずばり矛と盾とは、主権と(基本的)人権です。主権者が絶対であるならば、国民の生命や自由、財産を奪うとも、国民はこれに反対できないはずです。国民主権の場合、例えば国民投票でA氏の生命を(正当な理由なく)奪うことに賛成多数であったとします。これはいいのか、悪いのか。
 (また、人権と平和も、平和が絶対のものであるとした場合、矛盾する場合がある。)


 もちろん悪いに決まっています。つまり、主権は絶対であるとは、方便であり、実際は制約が存在するわけです。小室直樹博士は、主権者でも契約と根本法は守らねばならないと言います。契約には国際法も含まれますが、特に重要なのは憲法です。憲法は社会契約です。同時に、憲法の中には根本法も含まれています(根本法とは何か、一概には言えないが、皇位継承法なども含まれる。特に西欧では、大昔から王位継承法は厳しく規定されている。もし規定が緩ければ、それが原因で国が乱れ、最悪の場合滅亡するからだ)。


 アメリカ独立宣言に、「すべての人は……造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる」とあります。つまり、人間は神によって人権を与えられており、国家といえどもこれを奪うことはできないということです。合衆国憲法には、造物主、天賦、神、人権といった言葉はありません。しかし、独立宣言こそアメリカのデモクラシーを理解するための鍵です。
 主権といえども根本法(人権を含む)は変えることが出来ない。とすれば、日本の場合は誰が主権者であり、何が根本法なのでしょうか。それが問題です。