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吉田松陰・留魂録(吉田松陰、古川薫)

吉田松陰の遺書を古川薫が現代語訳したもの。短いので、後半は古川薫が書いた伝記になっている。松陰先生をよく知らない人は、後半の伝記を先に読んだほうがいいだろう。また、留魂録は雑事が多く、興味を引く部分は案外少ない。

帰らじと思ひさだめし旅なれば ひとしほぬるる涙松かな(209P)

松陰先生が長州から江戸へ出発する時の歌。二度と長州に帰ることはなかった。

死は好むものではなく、また憎むべきでもない。世の中には生きながらえながら心の死んでいる者がいるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなしとげる見込みあらば、いつまでも生きたらよいのである。つまり私の見るところでは、人間というものは、生死を度外視して、要するになすべきことをなす心構えこそが大切なのだ。(51P)

高杉晋作への手紙に書かれていた言葉だ。

身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂
十月念五日 二十一回猛士
(78P)

留魂録の冒頭にある、辞世の句。十月念五日は10月25日で、処刑されたのは27日。太陽暦では11月21日だと思う。

今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり。(97P)

死を覚悟して落ち着いていられるのは、四季の循環に思うところがあるからだ。人間の人生にも自ずから四季というものがあり、春に生まれ、冬に死ぬ。その時、秋に実ったものが、

それが単なるモミガラなのか、成熟した粟の実であるのかは私の知るところではない。(100P)

私はもう死ぬけれども、実は残した。成熟した粟の実であるかどうか、諸君が確かめてくれ。いや、諸君の働き次第でモミガラにも粟の実にもなる。後は頼んだぞ。……という意味。

……ますます左内と一度も会う機会がなかったことを残念に思ったのだ。……私はそれを聞いてさらに左内をよみがえらせ議論をしてみたいと強く思ったのだが、もう左内はいない。ああ!(114P)

橋本景岳と会う機会がなかったが、一度会ってみたかった、という。もしその機会があったら、どんな会談になっただろうか。

かきつけ終りて後
心なることの種々(くさぐさ)かき置きぬ思ひ残せることなかりけり
呼びだしの声まつ外に今の世に待つべき事のなかりけるかな
討たれたる吾れをあはれと見ん人は君を崇めて夷払へよ
愚かなる吾れをも友とめづ(愛ず)人はわがとも友(ども)とめでよ人々
七たびも生きかへりつつ夷をぞ攘はんこころ吾れ忘れめや
十月二十六日黄昏書す 二十一回猛士
(116P)

留魂録の最後に書かれた歌。

我今為国死 死不背君親 悠々天地事 感賞在明神
我、今、国の為に死す。死して君親に背かず。悠々天地の事。感賞明神に在り。
(71P、絶命の詩)

http://www5.ocn.ne.jp/~ys2001/yougo-yo.html
「幼時から長州の伝統であり両親の教訓として祖国日本の興隆を一意念じつつ今日に至ったが、その為、遂に今死罪に服することとなった。然しこの教訓の淵源は、遠く肇国の神命にあることを想う時、必ずや、吾が死は明神の鑑賞し給うところ、光輝く死後を期待し得る。かく観ずれば、今ここに死に直面するも、怖れも、悲しみもなく、実に悠々として寂かな心境である。」(田中俊資氏著の「維新の先達・吉田松陰」より引用)