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明治憲法の思想(八木秀次)

 八木秀次氏の著書を読むと、私の場合は8割同意、2割反対くらいになることが多い。それはさておき、この本の内容は目次から分かるように、帝国憲法成立史、及びその思想に関するものが大半で、残りは実際の運用と、昭和期の間違った解釈による問題点などである。第2章、伊藤博文を魅了した歴史法学、第3章、明治のバーク・金子堅太郎、第4章、政治の主体を巡って―伊藤と井上毅との間、からも分かるとおり、伊藤博文井上毅、金子堅太郎の三人が中心人物である。


 最も議論が分かれる点は、明治憲法は民主憲法か、非民主憲法か、という点だろう。実際のところ、大正デモクラシーも昭和の全体主義(と言えば言い過ぎか)も帝国憲法下の体制であり、民主憲法、非民主憲法、どちらでもあると言えるかもしれない。
 しかし本来の明治憲法は民主憲法であった。大正デモクラシーこそ真骨頂である。それがやがて、

我が国が戦時体制に入っていくにつれて、明治憲法の廃棄論が唱えられることになる。(258P)

 結局のところ、非民主的に傾いてきたのは、国家の中心が曖昧だったからである。議院内閣制、政党内閣制が慣習としては確立しつつあったが、憲法に規定を持たなかったのだ。いや、そもそも「内閣総理大臣」も「首相」も、「内閣」という言葉すら、憲法に出てこない! 憲法制定時は天皇の名の下に元老(維新の元勲)がいた。彼らが国家の中心となり、総理大臣を天皇に推薦していた。昭和に入り、元老がほぼ全滅したため、国家機関に空白が生まれた。明治憲法は解釈次第で生かすことも殺すことも容易な、規定が非常に曖昧な憲法であり、そこが長所でもあり、短所でもあったのだ。元老の位置に内閣総理大臣を置くという改正を行えればよかったが、結果として軍部がその位置に来てしまった。
 以下の昭和天皇のお考えは、口では天皇絶対を叫ぶ人々によって無視された。その人たちにとって、大御心とは何だったのだろう。

憲法の停止のごときは明治大帝の創制せられたるところのものを破壊するものにして、断じて不可なりと信ず。(「昭和天皇語録」24P)


 ところで、よく教科書などで問題にされる、法律の範囲内の権利というのは、議会しか権利を制限できないということであって、むしろ権利を護ることの出来る規定である。フランス人権宣言も同様になっており、左翼が支持する当時の民間の憲法案も同じだそうだ。(182P参照)
 議会は自由の砦であり、法律でしか国民の権利を制限できないのならば、国民の意思によらなければ自由は制限されないということ。もし議会が自由の擁護を諦めたら、その時は憲法が死ぬ。実質的には、現在の日本人が持っているのも法律の範囲内の権利である。


 他によく挙がる問題点として、天皇は神聖である=現人神、という話が出るが、このような規定(神聖不可侵)は外国の憲法にもあり、君主の無答責を規定しているに過ぎない。立憲君主として権力を持たない以上、天皇が無答責であることは当然だ。明治憲法には天皇を神とする言葉は存在しない。
 福沢諭吉のグループの憲法草案には「天皇は神聖にして犯す可らざるものとす……」や、権利について「法律に背くにあらざれば」と書かれている。(208,210P参照)

中江兆民は「我国の天子様は御位の尊きこと世界万民其例無き者なれば……」と言っている。(221P)


 成立していない無効の日本国憲法を良く見せるために、不当に帝国憲法を陥れる戦後左翼学者どもだが、美濃部達吉は「民主主義の実現は現在の憲法(=明治憲法)の下においても十分可能であ」ると確信していた。「……専制的軍国的(な傾向は)……憲法の真の精神が歪曲せられて、不当な政治慣習や悪法令が成立したが為に外ならぬ。……敢て憲法自身の改正を要するものではない」と言っている。(256P参照)
 むしろ、民主主義の実現は明治憲法の下でなければ不可能であると信ずる。我が国の国体や、憲法絶対の精神は、帝国憲法においてのみ守られる。伊藤博文美濃部達吉博士の卓見に学ぶべし。私に言わせれば、現在の日本国民の思考は戦前の軍部や右翼と何ら変わらない。


 以上、私見を交えつつ一部引用した。帝国憲法成立史とその思想については、本書を読んでください。簡単には要約できないので。

明治憲法の思想―日本の国柄とは何か (PHP新書)

明治憲法の思想―日本の国柄とは何か (PHP新書)

八木秀次氏について

 彼の主な著書に他に「精撰尋常小学修身書」「反人権宣言」「日本国憲法とは何か」があります(どれもおすすめ)が、そのうちで最も重要な「精撰尋常小学修身書」は八木氏の著作ではなく、戦前の修身教科書を編集したものです。また、雑誌以外で最初に人権擁護法案(の反対論)を取り上げたと思われる「日本を蝕む人々」の著者三人の中の一人でもあります。
 さて修身の教科書ですが、これを編集して出版したのは私が知る中では小池松次「修身 日本と世界」が1975年の出版で一番最初です。小池氏の本は、現在は「修身の教科書」というのが出ています。
 アメリカでベネット氏が出版し、3000万部売れたという「道徳読本」は、小池氏が1970年に出版した「これが修身だ」という本が元になっているという噂があります。近所の図書館に、日本人のしつけを考える会・編「これが修身だ」という本があり、1970年の出版ですが、借りたことがないので詳細は不明。日本人のしつけを考える会の代表が小池氏ということでしょうか。もしそうだとしても、噂の真相は分かりませんが、小池氏は道徳読本について「私の本に似ている」と感じたそうです。いずれにせよ、修身の教科書は素晴らしく、それを編集する作業は八木氏の独創ではありませんが、「精撰尋常小学修身書」は文庫本で入手しやすく、おすすめの一冊です。