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「日本国憲法」無効論(小山常実)

 占領憲法無効論に関しては、日本国憲法失効論(菅原裕)のほうが詳しく書かれているが、この本では日本国憲法成立過程について、中学校教育ではどのように教えてきたか、憲法学ではどのような学説があったか、そして実際はどのようであったのか、という3点に重点が置かれている。

日本国憲法の成立過程

 詳しくはこの本を読んでもらうとして、まず最初にGHQが憲法改正を指示する。次に日本政府が松本甲案と乙案を作成するが、GHQはこれを拒否し、一週間で草案を書き上げる。それを日本政府が修正したが、

この交渉(註:政府とGHQ)の中で、政府案のうち、GHQ案を修正していた部分はほとんどもとの内容(註:GHQ案)に戻ってしまうのである。(46P)

議会はどうかといえば、

議会も、日本政府と同じく、主観的にも客観的にも自由意志をもっていなかったのである。(47P)

このことに関する研究は、近年まで完全ではなかったが、

1995年に衆議院小委員会の議事録がようやく公開され、……議員たちが主観的にも(註:客観的にも)自由意志をもっていなかったこと、……を確認した。(192P)

議員に自由意志がなかったことの証拠の一つに、公職追放がある。

466名の衆議院議員のうち、381名、81.8%の議員が追放されていた。(157P)

それから、総選挙があった。

4月10日に、戦後初の総選挙が行われるが、憲法改正問題はまったく争点とならなかった。(46P)

また、総選挙後も当選した議員が追放されるということは続き、国民の意思は無視された。

(註:宮沢俊義は)「憲法全体が自発的に出来て居るものではない、指令されて居る事実はやがて一般に知れると思う。重大なことを失った後で此処(註:条文の修正)で頑張ったところでそう得る所はなく、……」(193P)

GHQ案のとおりに憲法が改正されなければ、天皇の地位が危ういという状況で、武装を解除された日本国の議会、政府に自由な意志はなかった。政府や議会に自由意志がなかったということは、この本の中で多くの証拠をあげて示されています。

国民は占領憲法を支持したか

自由民権運動憲法案は明治憲法に近いものがほどんとだった。(82P参照)

ちょうど「日本国憲法」公布の前後二ヶ月間、GHQ検閲官として手紙の検閲を行った甲斐弦は、「……私が読んだ限りでは、新憲法万歳と記した手紙などお目にかかった記憶はない……どうして生き延びるかが当時は皆の最大の関心事であった。憲法改正だなんて、当時の一般庶民には別世界の出来事だったのである」(84P)

先に書いたとおり、総選挙の争点にもならなかった。マスコミによる世論調査は、占領中で検閲があるため全く信用できない。民間の憲法案や、政府、政党による憲法案は、ほとんどが松本案に近いものであった。

占領憲法は有効か

美濃部は占領されているような非常事態の中での憲法改正に反対であった。(126P)

このことは日本国憲法失効論(菅原裕)にも出ている。

憲法が無いのではない。行われないのである。行われないのは守られないからである。守られないのは守るに値する権威がないからである。権威がないのは、その由緒来歴に無理があるからである。」(118P,井上孚麿「憲法研究」29Pからの引用)

小室直樹博士もこれと似たことを言っている。憲法があっても機能していなければ死んでいる、と。伊藤博文が発見したように、欧米の憲法では神(宗教)が基軸となっているし、英国の憲法は明文化されていない、歴史と伝統そのものである。

極東委員会が示した「議会における討議の三原則」……b 1889年の憲法と新憲法との間に完全な法的連続性の存することを保証されるべきである。(154P)

なぜ法的連続性が必要か? 占領中に新憲法を制定するなど、無効に決まっているからである。普通に考えれば憲法改正でも無効である。もしこの憲法改正が有効であるとすれば、それは絶対に 1、言論の自由が確立されていること 2、憲法改正の限界を超えていないこと の2点が必要となる。

a 新憲法の条項を徹底的に討議し検討するため、十分の時間と機会とが与えられるべきである。(154P)

しかし、言論の自由、議員の自由意志は全く無かった。かけらも無かった。そして、完全に改正の限界を超えた内容である。完全な法的連続性どころか、完全に別物になっている。日本国憲法大日本帝国憲法、名前も違えば前文も違う。確かに共通点もあるが、最も大きな違いは「国民主権」を掲げ、天皇を処刑し皇室を廃止することが出来る点である。「天皇の一身は侵すべからず」だった帝国憲法との違いがはっきりしている。

無効ならどうすべきか

 この本の著者は、議会と国民投票を経て日本国憲法が改正された場合でも、無効であるという。では、どのような手続きによって無効確認を行うか。
 首相他国務大臣の副署に基づき、天皇日本国憲法無効と帝国憲法復活を確認すればいい。(248P参照)
 この点に関して、私は考えが違う。国会による決議で無効を確認すべきだと思う。しかし、このへんは細かいことであり、重要なのは日本国憲法が成立したのか無効なのかという点である。

ポツダム宣言憲法改正

ポツダム宣言が「有条件」であることに対して国務省が明らかに困惑していることが次の文面からも窺える。「この宣言は日本国および日本政府に対し降伏条件を提示した文書であって、受諾されれば国際法の一般規範により国際協定をなすものであろう。国際法では、国際協定中の不明確な条項はその条項を受諾した国に有利に解釈されている。……」(佐藤和男「世界がさばく東京裁判」85P)

小室直樹色摩力夫の「国民のための戦争と平和の法」にも、疑わしい国際法は主権に有利に解釈されるとある。佐藤和男がこのことに触れているのは、確か東京裁判の根拠がポ宣言にあるか、という点であったが、占領憲法に関しても同じであって、ポツダム宣言日本国憲法の根拠になることはない。ポ宣言は「民主主義的傾向の復活強化」としており、復活である以上、大正デモクラシーなど帝国憲法下の民主政治を指すと考えられる。また、バーンズ回答でも「降伏の時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項の実施の為、其の必要と認むる措置を執る連合軍最高司令官の制限の下に置かるるものとす」とあり、天皇の権限は制限されるものの、地位自体に変更はないと考えられる。なぜなら降伏条項には民主主義的傾向の復活強化=帝国憲法の強化が含まれるからである。事実、

BBC放送やスウェーデンの新聞は、これによって国体の継続が認められたと報道していたという。(211P)

 しかし、いざ占領が始まってみると、日本軍の無条件降伏が「日本国」の無条件降伏だと宣伝され、さらに東京裁判憲法改正言論弾圧などの愚行に及んだのである。ポツダム宣言には連合国もこれを守るとあり、協定違反であることは言うまでもない。
 ただ、国際法違反が即憲法無効論となるわけではない。重要な点は、 1、占領中の憲法改正は無効(言論の自由が無く、日本側の自主性が皆無だから。仮にそれらがあっても、普通は行うべきではない)。 2、憲法改正の限界を超えた内容だから。