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昭和天皇語録(黒田勝弘、畑好秀)

昭和天皇の数々のお言葉がまとめられていて、読んでいて面白いです。まさに昭和という時代を映す鏡といえる本ですね。


秩父宮が親政を提案なさったのに対して)憲法の停止のごときは明治大帝の創制せられたるところのものを破壊するものにして、断じて不可なりと信ず。(24P,昭和6年末〜7年春)
VIPまとめより……天皇親政を望む者は尊皇論者にあらず。親政になると国民は陛下に頼るのではなく、依存してしまい、政治の全責任を押し付けてしまうことになり、神聖不可侵であることができない。赤子(せきし)は赤ん坊ではないので、自立せねばならない。天皇陛下は元首として君臨し、統治はせず、臣民が大政を翼賛し奉ること、そのための帝国憲法護持、リベラル・デモクラシーこそ明治大帝以来の大御心である。帝国憲法と、その意味している近代民主主義、その護持こそ尊皇の道であることを忘れてはならない。


指導的地位はこちらから押しつけてもできるものではない、他の国々が日本を指導者と仰ぐようになってはじめてできるのである。(95P,昭和15年夏)


(特攻隊について)そのようにまでせねばならなかったか、しかしよくやった。(167P,昭和19年10月25日)
VIPまとめより……陛下は戦死者に対して絶対に「馬鹿なことを」などと仰らない。この言葉を、特攻作戦を是とするものと受け取ってはならない。しかしよくやった。特攻隊員は日本の誇りだ。乃木将軍が息子の戦死に対して「よく死んでくれた」と言ったのと似ている。


たとひ連合国が天皇統治を認めて来ても人民が離反したのではしやうがない。人民の自由意志によつて決めて貰つて少しも差支ないと思ふ。(190P,昭和20年8月12日)


阿南、阿南、お前の気持はよくわかっている。しかし、私には国体を護れる自信がある。(194P,昭和20年8月14日)


二・二六の時と、終戦の時と、この二回だけ、自分は立憲君主としての道を踏みまちがえた。二・二六の時は総理大臣が生きているか、死んでいるか分らないので、自分が進んで態度を決めるように指導した。終戦の時は、総理大臣が「どうしようか」と聞くから、「早くやめろ」といった。(213P,戦後まもなく)
VIPまとめより……思うに、「立憲君主としての道を踏みまちがえた」のではなく、通常は行使しない権限を行使せざるを得ない事態が発生しただけであって、陛下には一つも非はない。


夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル、今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努カヲ効スベキノ秋ナリ。(新日本建設の詔書、いわゆる人間宣言
VIPまとめより……左翼の愛する「人間宣言」には、「家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心」「ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向」えとある。家族愛と愛国心の否定は人類愛の否定にもなるだろう。身近なものから愛するのが普通だからね。


昔、後水尾天皇が病気に罹られた際、典医がお灸で治療するやうに勧めたところ、側近の者が、神にお灸をすゑることは罷りならぬと、これを止めたので天皇は止むなく位を退かれて、お灸の治療をお受けになつたさうだ。誠に困つた考へ方である。(221P,昭和21年春)
VIPまとめより……松陰先生が「天子は誠の雲上人にて、人間の種にはあらぬ如く心得るは、古道曾て然るに非ず」と言ったのも納得だ。乃木将軍が辞世で「うつし世を神さりましし」と歌ったように、陛下を神としてお慕い申し上げるのもおかしくはない。しかし、生きた人間を幽霊か何かのように扱ってはおかしい。


最も大切なことは天皇と国民のむすびつきであり、それは社会が変わって行ってもいきいきと保っていかねばならない。(311P,昭和47年3月)


戦前と戦後の(価値観の)変化があるとは思っていません。(329P,昭和50年9月22日)


(註:占領憲法)第一条、あの条文は日本の国体の精神に合っていますからいいと思いました。国体というのか、日本の皇室は昔から国民の信頼によって万世一系を保ってきた。その証拠には歴史が示すように戦国の皇室衰微のとき、戦国の武将、毛利元就織田信長にしても皇室を尊崇して、お気の毒ということでばく大な財産を献上したことが歴史に書かれている。日本の国民は皇室を尊崇し、皇室も国民をわが子と考え、大切にされた。その代々の伝統が今日をなした。(337P,昭和52年8月23日)
VIPまとめより……「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」これは正しいが、果たして「象徴以上の意味はない」ということなら、第一条が本当に国体と合致するか、疑問が残る。そもそも戦後も事実上の国家元首であり、「象徴であって元首ではない」ということなら国体精神以前の問題ではないのか。「主権の存する日本国民の総意に基く」これは気に障る文章だが、「人民が離反したのではしやうがない」という意味にとれるので、間違いとも言い切れない。ただ神話の否定のようにも取れるので、いまいち納得できない。帝国憲法第一条がやはりしっくりくる。誤解があると困るから言うと、大隈重信は「明治天皇はこの憲法という大切な宝物を我々に下さったんである。爺さんにも婆さんにも私にも国民皆に同様下さったんである。これを守ると家が栄え、国が栄え、身体も強くなる。大切なものを下さった。色々の有りがたい事の源はこの憲法から来て居る」と言った。幕末・明治の人々は斯くの如し。そして私がこよなく愛するのもその時代の人々。「御維新」維新には御の字をつけたのだ。あるいは御一新。「大切な宝物」はいつ取り戻せるのだろうか。