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吉田松陰「講孟箚記」を読む 第2回

以下、吉田松陰「講孟箚記(上)」より。


「恒産なくして恒心ある者は、惟(ただ)士のみ能くすることを為す」と。此の一句にて士道を悟るべし。諺に云ふ、「武士は食はねど高楊枝」と。亦此の意なり。然れども是武士の教へと云ふには非ず、武士の有様なり。
<訳文>「恒産なくして恒心ある者は、ただ士のみ能くするを為す」、一定の生業を持っていなくとも、不動の信念を持ち続けるということは、ただ士たる人物のみができることである。(以下略)(55,59P)
(VIPまとめより)
以下は「先哲を仰ぐ」紹介記事からの転載。
産という字は財産のことで、恒産とは常に財産があるということだ。「恒産なくして恒心あるは、ただ士のみ」とは、財産がない時も心を乱さないのは武士のみである、という意味になる。それに対し、山鹿素行は産を産業、仕事と解釈し、「小人閑居して不善を為す」という意味にした。財産があっても暇があると不善を為す、と。武士は財産があってもなくても、暇があってもなくても、関係なく善を為すのみ。武士は食はねど高楊枝、一寸も心を乱さないのである。


人を信ずる者は、其の功を成すこと、往々人を疑ふ者に勝ることあり。
<訳文>人を信ずるものは、往々にして人を疑うものよりもすぐれた功績を挙げるものである。(172,173P)
(VIPまとめより)
松陰先生は源頼朝が弟たちを疑って失敗した例を、永遠の反面教師としているが、全く同感だ。


志士は溝壑に在ることを忘れず、勇士は其の元(かうべ)を喪(うしな)ふことを忘れず。……志士とは、志達ありて節操を守る士なり。
<訳文>「志士は溝壑に在ることを忘れず、勇士はその元を喪ふことを忘れず」、志士は道義のためならば、窮死してその屍を溝や谷に棄てられてもよいと覚悟しており、勇士は君国のためならば、いつ首をとられてもよいと思っている。……志士とは、高い理想を持ち、いかなる境遇になろうともその節操を変えない人物のことである。(238,240P)


曰く、「小人閑居して不善をなす」と。
<訳文>「大学」にも、「小人閑居して不善をなす」、つまらぬ人間は、ひまがあると善くないことをする、といっている。(255,256P)


人は初一念が大切なる者にて、……学問を為す者の初一念も種々あり。就中(なかんづく)誠心道を求むるは上なり。名利の為にするは下なり。故に初一念、名利の為に初めたる学問は、進めば進む程其の弊著(あらは)れ、……大事に臨み進退拠(よりどこ)ろを失ひ、節義を欠き勢利に屈し、醜態云ふに忍びざるに至る。
<訳文>人は初一念が大切であって、……学問をするものの初一念……心の底から道を求めようとするものは上であり、名誉利益を得ようがためにするものは下である。それ故に、名誉利益を得たいという初一念で始めた学問は、それが進めば進むほど、その弊害がはっきりし、……その果は、大問題に際し、自分の一身の進退のよりどころを失い、節義を欠き権勢や財利の前に屈して、その醜態、口にするに忍びぬまでになってしまう。(264,267P)


群夷競ひ来る、国家の大事とは云へども、深憂とするに足らず。深憂とすべきは人心の正しからざるなり。苟も人心だに正しければ、百死以て国を守る。其の間、勝敗利鈍ありといへども、未だ遽(にはか)に国家を失ふに至らず。
<訳文>今日、諸外国が争って来航することは、国家の大問題ではあるが、深く憂えるには足らない。今日、深く憂えねばならぬことは、人々の心が正しくないことである。もし人の心さえ正しかったならば、すべての人々がみな生命を抛(なげうっ)て、それによって国家を守ろうとするのである。されば、勝ち負けや出来・不出来はあったとしても、急に滅亡するには至らぬのである。(266,269P)
(VIPまとめより)
大東亜戦争は深く憂えるに足らない。なぜならば、勝負は時の運であって、日本国が滅亡したわけではないからだ。特に日本には特攻隊員がいた。ドイツはヒトラーのカリスマによって勝利を収めていったが、ヒトラーが没落するとすぐに滅亡してしまった。これは人々の心が正しくないからである。もし「中国の核が世界を制す」ことになっても、人々が国家に殉じようとするならば、日本が消滅することは絶対にない。しかし逆に言えば……。


若し君々たらずと云へども、臣々たれば、天下尚(なお)平らかなり。臣々たらずと云へども、君々たれば、天下尚平らかなり。……父子・兄弟・夫婦も一理なり。
<訳文>もし君が君らしくなくても臣が臣らしくするならば、やはり天下の太平は保たれる。臣が臣らしくなくても君が君らしくするならば、やはり天下の太平は保たれる。……父子・兄弟・夫婦の関係においても、同じ道理である。(311,312P)
(VIPまとめより)
「臣々たらずと云へども、君々たれ」こそ松陰先生の独自の意見であろう。思うに、昭和と平成の天皇陛下はまさに、臣々たらずとも君々たるのであって、臣民の我々としては情けないこと極まりない。天下尚平らかであるのは陛下のおかげである。だが、平らかであることにも限界がある。臣下としての自覚が失われつつある今、日本はどうなってしまうか分からぬ。「今天下いかなる時ぞや。君臣の義、講ぜざること六百余年、近時に至り、華夷の弁をあわせて又之を失ふ。然り而して天下の人、まさに安然、計を得たりとなす。神州の地に生れて皇室の恩を蒙り、内には君臣の義を失ひ、外には華夷の弁を遺(わす)る。学の学たる所以、人の人たる所以、其れ安(いづ)くに在りや」(松下村塾記)吉田松陰イデオロギーだけが日本を救いうる必要十分条件でないだろうか。