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講孟余話ほか(吉田松陰)

 講孟余話とは講孟箚記の別名である。この本では抄訳で、書き下し文などは掲載されていない。よって箚記の文庫本・上下巻を読んだほうがいい。この本には他に、将及私言、幽囚録、回顧録、野山獄文稿(抄訳)、丙辰幽室文稿(抄訳)、戊午幽室文稿(抄訳)、留魂録が収録されている。全て現代語訳のみだ。このうち留魂録は、単独で文庫本になっているのは以前紹介したとおりだが、そちらは読まずにこちらで済ますこともできる。この本の目玉は将及私言から戊午幽室文稿までの6つである。
 将及私言は嘉永六年(1853)、藩に提出した意見書だ。
 幽囚録は安政元年(1854)、野山の獄で下田踏海について書いたもの。
 回顧録安政二年、これも野山の獄で下田踏海の頃を回顧した文章である。日記のような文章で読みやすい。

獄舎では、皇国の皇国たるゆえん、人倫の人倫たるゆえん、外国人の憎むべきゆえんなどを、日夜声高に説いた。(261P)
下田で読んだもの
世の人はよしあしごともいはばいへ 賤(しず)が誠は神ぞ知るらん(290P)

 野山獄文稿は、これも安政二年ごろ野山の獄で書いたもので、士規七則や、桂小五郎への手紙などが収録されている。
 丙辰幽室文稿は安政三年に自宅で書かれたもの。久坂玄瑞への手紙などが収録されている。
 戊午幽室文稿は安政五年ごろの著作。「愚論」は孝明天皇の天覧に供されたと伝えられている。
 この本の最初に講孟余話があり、以上の6つの論文が続き、最後に留魂録という順番で収録されている。講談社学術文庫の講孟箚記や留魂録と比べると、この本は読まなくてもいい部類に入るかもしれない。

天下は(上御)一人の天下

 上御一人(かみごいちにん)とは天皇のことである。「一人の天下」は「ひとりのてんか」と読んでもいいと思うし、そう読むのが正しいかもしれないが、「いちにんのてんか」と読むことも出来るだろう。いずれにせよ、ここでは天皇のことである。
 また、天下とは神州・皇国・日本帝国のことである。当時は国というと藩を指した。決して世界は天皇が支配すべきであると言っているわけではない。それから、天皇が皇帝であるというのは、藩が国であったことからも分かる。しかし、ブリテン連合王国や豪州、カナダなどの君主である英国王がエンペラーでないのはどういうことか、よく知らない。「大英帝国」はインドのことだと聞いたことがある。英国王がインドの皇帝になったので大英帝国と言ったんだとか。エンペラーとキングの違いはよく分からない。
 丙辰幽室文稿に以下の文章がある。

わが大八州は、皇祖が建国したのであって、万世にその子孫が継承し、天地とともに窮まりがないのであり、他人が分外の望みをいだくべきではないのである。天下は一人の天下であることはまた明らかである。……不幸にして、天子が激怒し、億兆の民をことごとく殺してしまうときは、……(337P)

殺してしまうときは、これに逆らわず、全国民が一人残らず殺されるしかない。反逆は許されない、臣民に出来ることは諌めて死ぬだけである、と言うのである。明恵上人も「一朝の万物は悉く国王の物に非ずと云ふ事なし、……縦(たとへ)無理に命を奪ふと云ふとも、天下に孕まるる類、義を存せん者、豈いなむ事あらんや、若し是を背くべくんば、此朝の外に出で、天竺震旦にも渡るべし」と言っている。このことについては、小室直樹の「天皇の原理」や「天皇恐るべし」が詳しい。
 この過激な思想は、西洋の主権思想と比較するとよく分かる。「天下は一人の天下」とは、天皇が日本の主権者であるという意味なのである。リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」を使って言えば、「天皇天皇による天皇のための政治」となる。「天皇の」は主権、「天皇による」は実際に政治を行う人、「天皇のための」は政治の目的である。
 天皇が主権者であるのは天壌無窮の神勅と神武建国に基づく。しかしながら、私の考えでは、帝国憲法下に於いては「天皇の国民による天皇と国民のための政治」となる。天皇は根本的には主権者であるが、立憲君主であるため実際には政治を行わない。国民は天皇から借りた主権を行使し政治を行う。その利益は国民が享受するが、天皇の喜びは国民の喜びであり、国民の喜びは天皇の喜びである。主権者論は以下に詳しく書いた。
[憲法]私の憲法論(帝国憲法を考える)
http://d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070327/1175004405