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小室直樹の「痛快!憲法学」を読む 第4章

リヴァイアサン、誕生

前回、王様の権力が強くなってきたという話までいきました。商工業が発達した結果、農奴からの地代が収入源だった貴族たちは、それまで持っていた特権も失いつつありました。そしてフランスの思想家、ジャン・ボダンの主権という概念によって、絶対君主が誕生しました。

国家は主権者たる国王の所有物なのだから、それを自由に扱うことができる。……まず第1に、主権は慣習法を無視することができる。そして、自分が望む法律を自由に作って、人々に強制することができる。すなわち「立法権」という考えが、ここから出てきます。(55P)

遂に伝統主義は消滅した。国王と貴族の契約もない。国家、国境、国民も誕生した。主権者たる国王は国家の中において、宇宙における唯一神のごとく振舞えるようになりました。では、いかにして絶対王政は倒れ、近代デモクラシーは誕生したのか。それは新教徒(プロテスタントジャン・カルヴァンに始まります(ジャン・バルジャンではありません)。

聖書と「予定説」

 当時のヨーロッパでは普通の人どころか、聖職者もほとんど聖書を読んだことがありませんでした。同一の神を信仰するユダヤ教キリスト教イスラム教は啓典宗教といって、啓典(それぞれトーラー、福音書コーラン)に絶対の権威をおき、それを繰り返し読むことをします*1。特にコーランは声に出して読みます。宗教を意味する英語はレリジョンですが、これの語源は「繰り返し読む」だそうです。それほど重要な啓典を当時のヨーロッパでは読みませんでした。そして聖書に書かれていない秘蹟サクラメント)といわれる儀式を通じて、人々は救済されるというのがローマ教会の教えでした。カルヴァンプロテスタントはこれに対して、聖書に書かれていることが全てであるとしました。
 では、聖書に書かれているのはどんなことなのか。まず、人間は死んでも天国へも地獄へも行かない。その代わり、最後の審判の時に全員生き返る。そして選ばれた者は生身のまま神の国で永遠に生き、選ばれなかったものは永遠に死ぬ(消滅する)。これは日本人にとって、「別にどっちでもいいや」という感じだと思うのですが、キリスト教徒にとっては絶対に神の国に入りたいらしいのです。では、誰が選ばれるのか。神が決めた者です。いや、神が予(あらかじ)め定めた者が、神の国に行くのです。予定説とは、そういう意味なのです。神(ゴッド)は宇宙創造の瞬間に既に救済する者を予定しました。いや、救済だけでなく、誰がキリスト教徒になるかも予定しました。全ての人間の人生の内容も予定しました(人間は自分のしたいように生きているつもりになっているが、実は自由な意志などない)。では、どのような者が救済される者に選ばれるのか、基準はどうなっているのでしょうか。その基準は、キリスト教を信仰していること。別の小室直樹の著書では、信仰は救済のための必要十分条件だというようなことが書いてありましたが、この本では必要条件ということになっています。さて、手元に昔、街頭でもらった新約聖書があるので、最後のページを見てみましょう。そこにはこう書いてあります。「主の名を呼び求める者はだれでも救われるのです。ロマ10:13」と。ロマとは「ローマ人への手紙」という章の題名です。パウロ曰く、信仰は救済の必要十分条件
 ともかく、救済されるためには信仰が絶対に必要です。とすれば、キリスト教(特にプロテスタンティズム)を信じると、自分が本当に神を信じているのか不安になり、一層信仰を強めたくなる。信仰はどんどん強まっていきます*2

神を信じれば信じるほど、「ああ、自分が前にも増して熱心に信仰するようになったのも、やはり神様のお導き」と感じる。(70P)

では、いかにして予定説からデモクラシーや資本主義は生まれたのでしょうか。次回に続きます。

日本人のための憲法原論

日本人のための憲法原論

*1:宗教全般については小室直樹著「日本人のための宗教原論」を参照。http://d.hatena.ne.jp/gginc/20070402

*2:もちろん私はキリスト教徒ではなく、予定説など全く信じておりません。