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丸山眞男と平泉澄(植村和秀)

 まず言っておかねばならないのは、私はこの本をちゃんと読んでいないということだ。面白くないし、読みづらい感じだったからだ。
 植村和秀は丸山真男平泉澄の両者に敬意を持つ珍しい人で、他にこの二人を氏と仰ぐ人物は小室直樹くらいではないだろうか。著者はこの二人について、ある共通点があるというが、私が山本七平の言葉を借りて説明すれば、「日本教に対抗する理論体系を作ろうとした」ということだ。組織論、神学、正統性、そんな言葉も浮かぶ。
 さて、第4章だけはほとんど読んだ。「平泉澄における忠誠と反逆」というタイトルからも分かるとおり、平泉澄にとって何が忠誠で何が反逆かということを論じている。

日本のいちばん長い日

 以前、この映画を紹介する記事を書いた。まだ一度しか見たことがないので、近いうちに見返したいと思っているのだが、今回は前以上に一層感情移入してしまいそうだ。その理由は、登場人物の思想と行動を理解できたからである。

山口宗之氏宛の平泉書簡によれば、阿南は、「小生とは最も親しき御方にて所見の重大なる点に於いて一致してゐました」(187P)

 平泉澄先生と、三船敏郎演じる阿南陸軍大臣は、「最も親しき」関係であり「所見の重大なる点に於いて一致して」いた。では、どのように一致していたのか。まず降伏の条件として国体護持を挙げているところ。だがこれは閣内で完全に一致していた点でもある。というより日本国民、完全に一致していた点。
 阿南陸相は最後まで徹底抗戦を主張していた閣僚である。それは結局、連合国が日本の国体を認めるかどうかで意見が分かれたからである。そして、遂に結論が出ないため、昭和天皇の御聖断を仰いだ。すると、

このとき阿南が、「畏れ多いことだが、先ほど陛下がああおっしゃったから、陛下に放送をお願いしてはどうだろうか」といった。(201P)

 玉音放送を提案したのだった。それは平泉澄先生に、状況を国民に広く知らせるのがよいと説かれていたからだ。また、宮城事件において抗戦派を押さえ、自決した。この自決については、必ずしも平泉先生の教えというわけではない。しかし、宮城占拠断固反対は二人の共通した意見である。

後に下村は、……昭和天皇から、「阿南は生かしておきたかった」との発言のあったことを証言している。(206P)

これほど信任される重要な人物であった。彼は平泉澄先生に、門下生になりたいと願書を出したが、

みだりに師を以って居る事は、浅学迂闊なる私の能くせざる所、願はくは相共に先哲の教を仰いで護国の本意を貫きませう(188P、平泉の言葉)

吉田松陰に似た言葉を返されたのだった。平泉澄先生と門下生たちは人格的連帯を強く持っていたとのことだ。

(註:宮城事件の前のころ)右翼的妄動をせず、あくまで忠誠の臣として御奉公下され度、御依頼申上候。(191P、平泉の言葉)

右翼的妄動とは反乱(宮城事件など)、テロである。

(註:宮城事件の中心人物、畑中少佐は)……本来は心のやさしい、至って親切な人でありました。……いはば忠誠の余りに心が狂って彼の様な行動になったもので……。(216P、平泉の言葉)

 平泉澄先生は少佐らを止めようとしたが、結局は止めることができなかった。「心が狂って」とは、小室直樹ならばアノミーと表現するだろう。目的も論理もなく、ただ純真なだけ。反乱の結果がどうなるか(天皇の意思を無視して徹底抗戦したらどうなるか)までは考えていない。
 さかのぼって二・ニ六事件の際に同志に語った言葉を見てみよう。

この度の事件は日本人としてはあるまじき行為で、断じて許すことはできません。軍は天皇陛下の軍隊であって陛下の御命令なしに勝手に兵を動かすことはできないはずであります。しかも武力をもって陛下を脅迫するような行為は、どんなに目的が立派であっても言語道断といわねばなりません。それよりも驚くべきことは、政府および軍当局の対処ぶりであります。このように明白な反乱が反乱として扱われず、すでに二日も経っている現実こそ、誠に憂うべき大事であると思います。(185P、平泉の言葉)

 このように2月27日夜に語った。そして反乱軍と刺し違えるつもりだったという。同じく昭和天皇も、自ら軍を率いて鎮圧すると仰せられた。
 八・一五事件(宮城事件)は状況が違い、国家滅亡、国体崩壊の瀬戸際であったとはいえ、同じ論理で反乱反対が正しいということになるのだ。
 宮城事件でも一部の門下生と意見が完全に反対になったが、五・一五事件の際には、

殺気立った海軍士官が二名、平泉の自宅に乗り込んできて、……説諭したら二人は落ち着いた、と平泉は話している。(228P)

命を狙われるほど、右翼とは考えを異にしている。

陸海軍は、……勅命を奉じ、勅命に従って一意御奉公すべきであります。しかるに只今は宇垣大将に組閣の大命が下ったのでありますから、その組閣に反対するといふ事は、勅命に違背し、大権を干犯することになります。……陸軍の三長官会議に於いて陸相を出さない決議をしたりする事は、許さるべきでありますまい。(206P、平泉の言葉)

「陛下の御命令なしに勝手に兵を動かすことはできない」のは当然だが、このことも当然すぎるほど当然である。平泉先生は軍部の御用学者ではないのだ。そもそも尊皇であれば軍人勅諭の「軍人は……政治に拘らず……」を守るべきだ。

主権者論

わが国は民主の国ではございませんで、あくまで君主の国であって、ただその国の君主の目標が民本の政治をおとりになった、これが実に重大なる点であります。而してこれはわが国の歴史に現はれてをるところであり、御歴代天皇の思召しがここにあったのでありますが、それが法文の上に明記せられてをりますものが、即ち明治天皇の欽定憲法にほかならないのであります。(318P、平泉の言葉)

私はこの意見に大いに賛成だが、いわゆる「天皇主権」ということではない。詳しいことは次回書く。私の考えは平泉澄先生と同じかどうか分からない。しかし、違っていたとしても主権者論では小室直樹先生&私の考えを曲げることはないだろう。「私の憲法論(帝国憲法を考える)」に続く。