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伊福部昭音楽祭

 行ってきました。伊福部昭音楽祭。3月4日午後3時からサントリーホールにて。本名徹次指揮、日本フィルハーモニー交響楽団。無駄な音を削って削って名曲を書いた伊福部さんに倣って、短くまとめようとしたが、無理だった。行った人も行かなかった人も、CD(伊福部昭の芸術9?)が出たら是非買ってください。

第1部・プロローグコンサート

 最初は「二十五絃箏甲乙(かんおつ)奏合交響譚詩」だ。二十五絃箏は、伊福部音楽を演奏するために開発された25本の弦がある箏(こと)である。それを二つ使った(甲乙)演奏で、野坂惠子・小宮瑞代の親子の演奏家による。第一譚詩が始まると、しばらくは鳥肌が立ちっぱなしであった。さすがは伊福部音楽のための楽器、見事な交響譚詩。オーケストラと違って迫力はないが、美しく、素晴らしいものだった。はっきり言ってカルチャーショックを受けた。生まれてこの方、本当の音楽というものを知らなかったのだという気分。
 亡き兄に捧げた交響譚詩が、亡き作曲者・伊福部昭の追悼曲として、オープニングを飾った。オーケストラでは分からなかった、第一譚詩の楽しさの裏の寂しさが感じられた。それは無理に笑おうとしたかのような。そして作曲者はこの曲について、先の見えない時代だったから自分の将来を悲観していた、という意味のことを語った。事実、戦死はしなかったが放射線障害で倒れた。不思議なことに、放射能を浴びながらもゴジラと同じく長生きなさったからよかったが。今、この曲は伊福部さんの追悼であるだけでなく、先が見えない我が国の将来を暗示している。しかし、この曲は単なる悲観ではなく、将来への勇気をくれるかのようだ。
 次の「アイヌ叙事詩に依る対話体牧歌」は、アイヌ人の衣装を纏った二人の奏者による歌曲(歌:藍川由美ティンパニ:高田みどり)。凄まじい歌である。オペラも生で聴くとこんな感じなのだろうか。そしてティンパニがすごい迫力なのだ。もうこれは、説明できる迫力ではなかった。またしてもカルチャーショック! これはロック以上にロックである。そしてティンパニ以上の声量の歌。歌詞はアイヌ語で意味は全然分からないが、あまりにもすごい。歌と打楽器だけだから、言ってみれば原始的な音楽なのだろうが、逆に言えば音楽の本質だ。これこそ、音楽。


野坂惠子オフィシャルウェブサイト
http://www.matsunomi.net/keiko/20-25/20-25_1.html
 通常、「箏」というと桐の木に13本の絃が張ってある日本の楽器を指します。その13本の絃に「柱(じ)」というものを立て、右手に「爪(つめ)」をはめて音を出します。「おこと」というと、通常は「琴」の字を想像すると思いますが、厳密に言うとここで説明している「こと」は「箏」の字を使用します。「箏」と書いて「こと」と読みます。(中略)
 更に1991年には一気に25本まで増やします。きっかけは、伊福部昭先生の「日本組曲」というピアノの曲を弾くのに、どうしても絃が足りなかったので。それでもどうしても弾きたかったらしく、結果絃を増やしました。そうして「二十五絃箏」が完成します。
 二十五絃箏は、二十絃箏と比べて糸幅が狭くなります。それを弾き易いと感じるか、弾き難いと感じるかは人それぞれのようです。また、使用する絃の太さも二十五絃箏では多種に渡っています。それにより、音がより厚くなっていると思います。


http://ja.wikipedia.org/wiki/交響譚詩
次兄・勲の追悼のための曲で……1943年、日本ビクター主催のレコード化を条件としたコンクールである第2回管弦曲懸賞募集に応募、第一位となる。また、この作品を収録したレコードが文部大臣賞を受賞する。


http://ja.wikipedia.org/wiki/伊福部昭
1942年に兄・勲が、東京・羽田で戦時科学研究の放射線障害により死去。翌年、勲に捧げる曲として『交響譚詩』を作曲。同曲はビクターの作曲コンクールに入賞し、伊福部の作品として初めてレコード化されることとなった。1945年には、帝室林野局林業試験場に兄と同じく戦時科学研究員として勤務。放射線による木材強化の研究に携わるが、当時は防護服も用意されず、無防備のまま実験を続け、放射線障害を負うことになった。日本の敗戦と同時に病に倒れ、職を続けられなくなり、そこで音楽を本職とすることを決意し上京した。

第2部・映画の世界

 休憩を挟んで、映画音楽。タプカーラを除けば第2部が私の目当てであったわけだが、終わってみれば最も印象に残らなかった。それは第2部が悪かったからではない。それ以外が凄まじ過ぎた。「SF交響ファンタジー第1番」は最初のゴジラのテーマで、初めて聴く生オーケストラ演奏の音色に感激した。今日、最初のオーケストラサウンドが、この「ゴジラの動機」だ。会場(サントリーホール)の400インチの大きなスクリーンに映像が映し出されるのだが、初代ゴジラをスクリーンで見るのは初めてだった。いつか映画館で見たいものだ。気づいた時には宇宙大戦争タイトルマーチとなり、あっという間にコーダ。宇宙大戦争の宇宙戦シーンは大画面だからこその大迫力で、生演奏を聴きながら見られるのは豪華すぎる。もっと演奏に集中したかったし、宇宙大戦争も映画館で見てみたい。それにしても、ゴジラのテーマや宇宙大戦争マーチはいつもは映画を背景に流れていて、オーケストラが演奏しているのを見るのは初めての経験だ。なんだか不思議な感じであった。
 本当はここで「銀嶺の果て」だが、文章が長くなったので後述する。
 今度は「座頭市物語」メインテーマ。この曲のためだけに琵琶奏者が出演した。地味な曲だが名演奏だった。三船敏郎ときて勝新太郎。さながら「座頭市と用心棒」だが、その音楽ももちろん伊福部昭。ただし、今日は演奏されなかったが。ただ、私は座頭市は好きではない。音楽はいいのだけれど、ヤクザの話なので。
 いよいよ待ってました、「ビルマの竪琴」これも有名な映画だ。映画ではこの曲が流れるシーンが一番泣けるポイントであった。今日はそのシーンが上映されなかったのが残念だが、演奏はすごかった。日本映画史上に残る名曲である。どうせあのシーンが流せないなら、ゴジラの「帝都の惨状」のシーンを上映すればよかったのに。泣いちゃうよ、きっと。
 この曲もコンサートでは初めてだと思われる、「わんぱく王子の大蛇退治」より"アメノウズメの舞"だ。映像と同期していなかったのは残念だが、コーダでは体が燃えるようだった。5日は天気が悪く、大雨、大風となった。まるでスサノオの尊が怒っているかのようだ。6日も風が強い。それに比べ、4日は驚くほど穏やかな一日となった。まるで、天照大神スサノオの尊も、今日の音楽祭を応援し、楽しみにしていたかのようだ。特にこの曲、「アメノウズメの舞」が、お天道様を呼んだようである。もしかしたら、観客席に神々も来ていたかもしれない。あるいは空間?を超越して、聴いていたかもしれない。そして伊福部さんも今日の演奏を聴いていたに違いない。
 せきをしている人はたくさんいたが、くしゃみをしている人はいなかったようだ。私の鼻も奇跡的に良好だった。これも天佑神助か。
 オーケストラのための「特撮大行進曲」はテンポが遅めであったが、東宝特撮兵器が大画面で活躍していた。第2部の締めに相応しい曲だった。「地球防衛軍」50周年なのに地球防衛軍マーチが演奏されなかったのは残念だが、「バンドのためのゴジラマーチ」と同じなので仕方がない。ただしキーは普通に戻してあった。

銀嶺の果て

 続いて「銀嶺の果て」のメインテーマと「スキーシーン音楽」だ。映画は今年で公開60周年。今日の演奏では「ラドン追撃せよ」に近い雰囲気で、迫力があり、予想以上の盛り上がりを見せた。「スキーシーン音楽」は美しく、映像と合っていた。「銀嶺の果て」は決して有名な映画ではないが、日本映画のファンなら避けて通れない。今日演奏されたのは、伊福部昭の初の映画音楽作品だからなのだが、同時にこの映画は三船敏郎デビュー作、谷口監督の初監督作品、加えて脚本は黒澤明、主演は志村喬である。伝説、と言うほかあるまい。「スキーシーン」が演奏されたのは、監督と作曲者(伊福部さん)が揉めたエピソードが有名だからだが、どうして揉めたのか、私なりの解釈を説明しよう。この映画では他の黒澤映画と同様、音楽が重要な鍵になっている。映画全体はとても暗いのだが、一つだけ明るい曲があり、それは少女がかけるLPの曲(マイオールドケンタッキーホーム)なのだ。もしこのスキーシーンで明るい曲が流れていたら、重要なLPの曲が目立たなくなってしまう。本来は楽しいシーンなのに寂しい曲がかかっているため、映画を見終えた時、LPの曲が印象に残るのである。また、この寂しさは後の志村・三船らの運命を物語っている。ただし、DVDでは47分あたりからのシーンで、Wikipediaでは主人公と女性となっているが、実際には主人公ではないため、この二人は単純に楽しくスキーをしているだけである。そもそも、三船(が演じた人)は最後まで山小屋の空気に馴染めなかったではないか。実際に映画を見ると、このスキーシーン自体は何も印象に残らない。よって伊福部演出は成功したといえよう。逆に印象に残るのは、後にゴジラ「帝都の惨状」、ビルマの竪琴メインタイトルになる曲であった。もちろんLPの曲が一番目立つが。ところで、映画の当初のタイトルは「山小屋の三悪人」だったが、後に「隠し砦の三悪人」となった。よほど黒澤明三悪人という言葉が気に入っていたのだろう。しかし、そのおかげで「隠し砦の三悪人」は内容とタイトルが合っていないし、ぶっちゃけダサい。

第3部・管絃楽の響

 司馬遷の言葉、大礼必簡大楽必易。大楽必易とは、素晴らしい音楽は必ずシンプルである、という意味だ。大楽必易は伊福部さんのスローガンでもあった。真の芸術は芸術らしからぬ、とも言っていた。へんに気取ったところがない、ストレートな音楽なのだ。
 「日本組曲」は、まず「盆踊り」だが、イントロから凄まじい迫力。踊り・祭りは本来、神に捧げるものだが、本当に天まで届きそうな演奏だ。オーケストラの響き方も、映画音楽の第2部よりずっと良くなっている。コンサートでは純粋音楽のほうが素晴らしいということが分かった。同じメロディを次々と違う楽器で演奏するところは、演奏するところを見ながら聴けるため、面白い。「七夕」は、今までCDで聴いていたよりもずっと美しいと思った。「演伶(ながし)」は異様に速い。この曲は演伶の芸人が歌っている曲をイメージしたもので、歌い方を変えてみました、という感じだった。最後の「佞武多(ねぶた)」は、もはや言葉に出来ない。ロック以上のロック。爆発。爆演。祭りが熱狂しすぎて止まらなくなったような感じだ。音楽祭の名に相応しい。しかし、あまりに爆発しすぎて、こんなねぶた祭が現実にあったら死人が出る。いや、死人が出る祭りは珍しくないかもしれないが。大和魂の燃焼を見た。指揮者もオーケストラもカッコいいので、DVDが出たらいいのにな。
 最後は満を持しての登場、「シンフォニア・タプカーラ」である。第1楽章、あっという間に音楽世界に取り込まれてしまった。金管楽器が頑張っている。タプカーラはアイヌ人の踊りという意味の言葉で、この交響曲アイヌ人の芸術思想を表現している。しかし、世界の誰が聴いても素晴らしいと思うはずだ。説明は不要。素晴らしい演奏だった。アンコールは第3楽章の後半。この曲を聴いて思うことだが、ピッコロの人、死ぬんじゃないだろうか。お疲れ様でした。

観客

 さて、観客についてだが、性別も年齢も容姿も様々で、普段着からスーツ・和服まで。女性も多く、老人も若者もいた。いかに伊福部音楽が多くの人に愛されているか分かる。海外でも「Ifukube Festival」が開かれたりしているかもしれない。なぜなら、最初に彼を評価したのは「チェレプニン賞」であり、その時も、ゴジラの時も、日本ではずっとゲテモノ扱いされてきたからだ。しかし、いよいよ評価は高まった。もはや日本史上最も偉大な音楽家と言っても当たらずと言えども遠からず。大楽必易、ロック以上にロックであり、民族音楽であり、オーケストラの異国音楽である伊福部音楽。そこには常に祭り・踊りの精神があった。神と直結しつつも、釈迦、親鸞などの音楽も手掛け、SFから時代劇まで、そしてタプカーラを初めとする本職の純粋音楽。伊福部昭の魅力は語り尽くせない。ピアノ組曲から日本組曲、琵琶行まで、銀嶺の果てからゴジラvsデストロイアまで、長いようで短かった時代、日本芸術史に残る名曲の数々。我々はこれを雲散霧消させないために、語り継いでいかねばならぬ(伊福部さんがアイヌ人やギリヤーク人などのための音楽を書いたように)。日本民族ある限り、天地とともに無窮なれ、伊福部音楽。

第2回

 音楽祭第2回が平成20年3月16日、杉並公会堂にて開催される予定とのことですので、第2回では、日本狂詩曲、交響譚詩、合唱「オホーツクの海」、SF交響ファンタジー第2番、第3番、交響組曲わんぱく王子の大蛇退治」あたりが聴きたいですね。わんぱく王子は未だにコンサートでやったことがないと思います(今回の舞以外は)。

これからのゴジラ

 富山省吾さんは、今後のゴジラシリーズについて語った。外国から優秀な人材を集めて、東宝映画としてゴジラを復活させたいということだ。確かに、せっかく海外にゴジラファンは多いのだから、日本人だけで作るよりもいいものができるはず。そして、ハリウッドでやると「Godzilla」のようになってしまうから、やはり東宝で、ということだろう。それこそ、監督・スピルバーグ&ルーカス、みたいな感じでゴジラファンをみんな集めて制作したらいいのだ。給料は要らないよ、というくらいのファンを集めれば、制作費は少なくてすむだろうし。作風は「怪獣大戦争」か「ゴジラvsビオランテ」のような感じなら期待できる。

タプカーラとピッコロ(新交響楽団が語る)

交響楽団 196回演奏会曲目解説
http://www.shinkyo.com/concert/196_2.html
伊福部昭シンフォニア・タプカーラ
 「タプカーラ」の意味は、アイヌの「足を踏みしめる動作」の立ち踊りである。悪霊を追い払い良霊を招く動作で、相撲の四股もこの動作と言われている。(中略)
 新響のタプカーラでは、いつも2名のピッコロ奏者が演奏する。第3楽章の練習番号43以降、下記の譜例で示すとおりピッコロの最高音付近で非常に効果的なフレーズ続く。この音域では、非常に早い息のスピードと高い息の圧力が必要であると共に、運指も複雑である。おまけに、このフレーズではブレスの位置も無いという、体力的にも演奏テクニックでも演奏不可能なのである。1935年に作曲された日本狂詩曲の第2楽章でも同様な手法でピッコロが効果的に使用されているが、こちらはタプカーラに比べて平均的な音域が三度低い事と、オーケストラ全体の響きに隠れる音も有るので隠しブレスも可能であり、演奏不可能ではない。しかし、タプカーラのこのフレーズは、どんな名人・銘器を以てしても演奏不可能なのである。1980年改訂初演から3回の演奏は、原譜の通りピッコロ奏者は1名で演奏していたが、ピッコロの音が聞こえてこなかったり、5度下の音が聞こえたりと、作曲者が意図した効果は全く実現できていなかった。譜例の通り、1番フルートの記譜はピッコロと同じであり、実音はピッコロより1オクターブ低いので、ピッコロが記譜通り演奏されれば殆ど聞こえなくなる。(ピッコロの譜面は実音より1オクターブ低く記譜される)そこで1984年10月の第3回の演奏からは、第3楽章の練習番号42以降、1番フルート奏者がピッコロに持ち替えて演奏するようになり、作曲者の意図した効果が出るようになった。このとき、演奏者の席順はピッコロ持ち替えの1番フルート、2番フルート、ピッコロという順番になるので、2番フルートはフォルテシモでオーケストラ最高音に近い音を出し続ける2本のピッコロに挟まれることになり、2番フルート奏者は毎回の練習の度に耳鳴りと頭痛に悩まされた。これでは、2番フルートの団員があまりに可哀想なので、1985年の第5回目演奏以降は2名のピッコロ奏者で演奏する現在の演奏様式になった。それでも、一番端に座る奏者には隣の奏者のピッコロの音が直撃するので、一番端の奏者は左耳に耳栓をして演奏している。第3楽章クライマックスでのピッコロの音響効果は、憑かれたように無心に踊りに没頭している曲想に素晴らしく効果的であるが、ピッコロ奏者は貧血直前で頭の中が真っ白になり、まさに憑かれたように無心でなければ演奏できないのである。


http://d.hatena.ne.jp/putchees/20070206
交響楽団は、芥川也寸志が創立したアマチュアオーケストラです。


 新交響楽団のタプカーラは芥川也寸志指揮・1987年のものと、石井眞木指揮・2002年のものを持っているが、二人とも伊福部昭の弟子だ。どちらも名演奏といえる。それ以外では日本フィルの「伊福部昭の芸術2」だが、素晴らしい反面、コンサートでないために緊張感が欠けている。第3楽章だけは「芸術8」に収録されているが、私はまだ持っていない。今回、日本フィルは初めてコンサートで全楽章を演奏した。アイヌの歌、第2部の映画音楽、日本フィル初のコンサート版「日本組曲」、そしてタプカーラ。「芸術9」CD発売が待ち遠しい。