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吉田松陰12の言葉 その12

人権擁護法案マガジン第165号(4月22日発行)を加筆修正。


身、皇国に生れて、皇国の皇国たる所以を知らず、何を以て天地に立たむ。


平泉澄「物語日本史」下巻127Pより。「〜所以を知らず、急ぎ帰りて六国史を読む」という説もある。両方言ったのかもしれない。水戸遊学時の言葉。「皇国の皇国たる所以、人倫の人倫たる所以、夷狄の悪むべき所以」という言葉もあるようだ。下田で牢獄に入っている時に、「皇国の皇国たる所以、人倫の人倫たる所以を、昼も夜も、声高らかに説き、獄卒はこれを聴いて、泣いて感動したとあります」(同書128P)。


皇国の皇国たる所以について、橋本景岳はこう言った(同書119P)。「元来皇国は、異邦と違ひ、革命と申す乱習悪風これ無きこと故」、今日といえども、神武天皇の御遺訓を守るほかはありません。その御遺訓は、「人、忠義を重んじ、士、武道を尚ぶ」、この二箇条であります。「此の二か条、皇国の皇国たる所」


ついでに橋本景岳の「啓発録」を一部引用します。「稚心とは、をさな心と云ふ事にて、(中略)十三、四にも成り、学問に志し候上にて、この心、毛ほどにても残りこれある時は、何事も上達致さず、とても天下の大豪傑と成る事は叶はぬ物にて候」


橋本景岳の見識は当時でもズバ抜けていた。水野筑後守はこう喝破した。「井伊大老橋本左内を殺したるの一事、以って徳川氏を亡ぼすに足れり」安政の大獄で橋本景岳と吉田松陰が殺されたことは非常に大きい。


「革命と申す乱習悪風」が無く、万世一系天皇が統治する日本国。君臣の義は儒教では父子の親の次に重視されるが、日本の武士道では最も重んじられる。そして日本では忠孝一致という言葉がある(忠臣は孝子の門に出づ、とも言う)。他国と比べてどうという話ではないが、革命がないのが美徳であるとすれば、日本こそ道義国家として万国に優れているということになります(かと言って驕り高ぶれば、道義国家とはとても言えない。西郷隆盛は「実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢや」と言って帝国主義を否定した)。


天皇が国民に対して、また世界に対して望むのは、人々の幸福と平和です。神武天皇の御遺訓の第一は八紘一宇です。世界においては人類協和、国内においては言葉通り、八紘(あめのした=天下)をおおいて一つの宇(家)となす。そして「忠義を重んじ、武道を尚ぶ」こと、国家においては「皇国の皇国たる所以」であり、個人においては「人倫の人倫たる所以」です。乃木将軍の言葉「皇統連綿たる天皇陛下日本民族の首長にましまし、国民はその一家一門であり、義においては君臣、情においては親子たる一大宣言」というのも、八紘一宇の宣言のことでしょう。


松陰先生は神道の信仰に篤い家に生まれ、本人も信仰心がありました。それでいて「皇国の皇国たる所以を知らず」とは、当時の神道、あるいは現在もそうかもしれないが、やはり教義というものがないらしい。儒教が日本で変質(完全に別物になる)して武士道が生まれると、その時に初めて神道に教義というものが生まれた、と考えていいと思う。尊皇のこと。それでもはっきりした教義はないのが日本教らしいというか。天壌無窮の神勅→革命否定→天皇絶対、ときて、その後が続かない。どうすると尊皇で、どうすると尊皇でないのか、というのがない。もしあったなら、西郷さんは反逆者として尊敬されないでしょうね。だって人情が(尊皇の)理論より優先されるわけですから。