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吉田松陰「講孟箚記」を読む 第4回

以下、吉田松陰「講孟箚記(下)」より。


互に天下の大計を論じ、身を以て大難至険に当らんとするに当りて、満心の愉快比すべき者なし。
<訳文>ともに今日の国家をどうしたらよいかという大問題を論じあい、一身を抛(なげう)ってこの険難を極めた問題の解決に当ろうと思う時、満心の愉快さは、比較すべきものを見ない。(95,98P)
(VIPまとめより)
面白きこともなき世を面白く


今、神州を興隆し四夷(しい)を撻伐(たつばつ)するは仁道なり。之を妨ぐる者は不仁なり。仁豈(あに)不仁に勝たざらんや。若し勝たざれば仁に非ず。
<訳文>現在においてみれば、わが国を盛んにし、侵し来る諸外国を打ち破ることは仁道に外ならない。されば、これを妨げるものは不仁である。仁は、孟子のいうごとく、不仁に勝たぬはずはなく、もし勝たないならば、それは仁ではないのである。(145,147P)
(VIPまとめより)
日本は大東亜戦争に負けた。しかし、歴史が評価するのはアメリカではなく、日本である。謀略が得意で大東亜戦争を起こすことに成功したソ連中国共産党も人道の上では勝利ではなく、ただ日本一国のみが名誉の上では勝利したといえるのだ。ちょっと無理矢理な解釈だとは自分でも思う。


武士たる所は、国の為めに命を惜しまぬことなり。弓馬・刀槍・銃砲の技芸に非ず。国の為めに命さへ惜しまねば、技芸なしと云へども武士なり。技芸ありと云へども、国の為めに命を惜しむは武士に非ず。然れども武士の武士たる所を知る上は、技芸固より捨つべきに非ず。
<訳文>武士の武士たる価値は、国のためには生命を惜しまぬというところにあるのであって、弓馬・刀槍・銃砲の技芸にあるのではない。国のために命までも惜しまぬというのであれば、技芸を持っていなくとも武士である。いくら技芸を持っていても、国のために命を惜しむようでは武士ではないのである。しかしながら、武士の武士たる価値を知っているからには、技芸を身につけることも、もちろん、必要である。(164,167P)


古今兵を論ずるもの、皆(みな)利を本とし、仁義如何を顧みず。……其の実は仁義程利なる物はなく、又利程不仁・不義にして不利なる者はなし。
<訳文>昔から、戦争について論ずる人物は、すべて利を得るということを主眼とし、仁義にかなっているかどうかということは、問題としない。……だが、事実は、仁義によって行なうことほど利であるものはなく、また利によって行うことほど不利なものはないのである。(177,179P)


水府に遊び、桑原幾太郎を訪(と)ふ。桑原、余が為に云ふ、「……凡そ神州に生れたる者は、……共に神州を憂ひ、四海同胞の如くあり度(た)きことなり……」と。余、乃(すなは)ち起ちて謝す。
<訳文>水戸をたずねた時、桑原幾太郎を訪うたが、桑原はわたくしのために次のように語ってくれた。「……およそ日本に生れた人は、……ともにわが国のことを心配し、天下みな兄弟のようにありたいものである。……」と。わたくしは、このことばに、起って感謝したことであった。(232,234P)


世の中には、素質が非常にすぐれていて、……友人からも信ぜられている善人があるもので、このような人物は、別段学問をしないでも、過ごしてゆけるようであるが……学問も思索もしないために、天下の大乱、人倫の大変、忠孝上の大問題にぶつかると、大きな間違いを引き起こしてしまうことがある。(293P)


恥を知らざる程恥なるはなし。
<訳文>恥を知らぬくらい恥ずかしいことはない。(297,298P)


凡そ学問の道、「死して後に已む」。(379P)


平士たるものは、自己の身を修めることを根本とし、一世の風俗を善導することをもって任務とせねばならない。……(註:以下は山鹿素行「武教小学」からの引用)武士が農・工・商のような仕事を持たぬのに、彼ら三民の上に居る理由は、ただよく身を修め心を正し、国を治め天下を平らかにすること以外にはない。(388P)


孫子曰はく、「勝兵は先ず勝ちて後に戦ひを求め、敗兵は先ず戦ひて後に勝を求む」と。(403P)