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私の宗教論・神道論(上)

 今や日本人は限りなく無宗教に近づいているように思うが、人間である以上規範がないわけがないので(必ず善悪の観念を持っている)、そこになんらかの宗教を見出せるはずである。
 一つにはいわゆる「日本教」がある。これはつまり、空気の信仰であって、一般的な規範として考える場合、社会の常識を規範とするものであると言えるだろう。つまり、誰の教えというものでもないが、世間でこれが正しいとされているから、それに従うということである。
 もう一つは「武士道」である。これは現在はかなり無くなってきているけれども、見方によってはまだ消えてはいない。武士道とは忠孝を根本とした規範である。忠義と孝行、つまり君主と父母に尽くすということである。この中には当然、君主や父母の教えに従うということも含まれてくるから、君主や父母が権威となって、規範を生むことになる。そして今日の日本でも、父母による子供の教育は当然行なわれているので、その意味では武士道は日本人の宗教として残っているというわけである。ただ、それだけでは当然片手落ちである。君主の教え、すなわち教育勅語が忘れ去られていては、武士道が真に成立することはできない。また、父母の教育も、忠孝をきちんと教えていない点で不十分だ。


 今日の日本では、全国民の主君とすべきは天皇ただ御一人であって、その天皇は国家および国民統合の象徴であるから、天皇と国家と国民は三位一体と言ってよい。よって忠義は、単に天皇個人に帰するものではなく、国家や国民への忠誠も含まれていなければならぬ。つまり武士道は、愛国心や博愛と切り離すことができないものなのである。一方で愛国心の側からこれを見れば、日本国の正統性が万世一系天皇である以上、国家を愛して天皇を愛さないことなどありえようがない。つまり愛国心と武士道は一体である。また、今日の忠義は天皇だけが対象となる(他に主君はいない)から、武士道と尊皇思想もまた一体であり、武士道、愛国心、尊皇思想は三位一体である。これらは大和魂と言い換えてもよかろう。
 その具体的な内容は教育勅語や父母の教えに表れており、要約すれば正しく生きることである。もちろん、武士道や尊皇思想には、いかなる方法で忠孝を実現せねばならないかという問題があるが、一般的には、世間の常識と一致しており、つまりは武士道と日本教では内容面で違いはないのである。ただ、そこに至る道程が違う。
 また、武士道は父母から遡って、ご先祖の教えと考えることもできる。それは遡れば遡るほど、多くの人数に行き着く。したがって、十代か二十代か前には、当時の日本人みんなが自分のご先祖だということになる。そこで武士道には、歴史というものが含まれるのである。我が国の歴史そのものが、我々にとって一つの宗教的意味を持つ。歴史に一貫している精神を大切にするのも、武士道の一側面なのである。
 なお、武士道については、3年前に、[教育]武士道とは何か、という記事でも書いており、今回もそれに基づいて書いた。先人の言葉も載せてあるので、そちらも参照していただけると幸いである。


 愛とは知ることだと私は考える。知らないものを愛することは出来ないし、よく知っているものは自然に好きになり、逆に好きなもののことはもっと知りたいと思う。愛国心とは、日本をよく知ることに他ならない。また、人は自分が嫌いではいけないし、家族や郷土が嫌いでもいけないと思う。自分の身近なものを愛せないのでは、自分より遠いものはもっと愛せないのではないだろうか。キリスト教で「隣人を愛せ」というのは、自分や家族を愛することは当然だが、隣人は他人だから愛することは難しい、しかしもっと遠くの人を愛するよりは簡単だ、ということのように思う。国も同じで、アメリカや中国を愛するより、まずは日本を愛せないようでは、とても世界に愛を向けることなどできはしないはずだ。
 自分の欠点を認識して改善していくことも、もちろん重要だが、まず長所を知ってそれを伸ばすこと、それによって自分を好きになることが第一でなければならない。そうでないと、欠点を改善するのではなく、それをあげつらって自らを侮蔑し、自分を破壊してしまおうと考えることになりかねない。子供は褒めて育てねばならないし、国家や民族も同様だ。長所を見つけ、欠点を直す、そのバランスが大事なのである。今の日本には長所を意識し、自らを尊ぶ心、それに独立心、つまり独立自尊の精神が足りない。
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