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小野田寛郎の終わらない戦い(戸井十月)

 小野田少尉は戦前の日本人を剥製にしたようなところがあるかもしれない。それは日本が停戦した後も30年近く戦い続け、「戦後日本」と無関係に、いわばタイムカプセルとなって、一度日本に帰還されてもすぐにブラジルに移住されたからだ。しかしながら、この人ほど剥製という言葉が似合わぬ人もいないだろう。この本を読んでいるだけでも、既にかなりのご高齢であるにもかかわらず相当お元気であることが分かるし、「戦争」から帰ってこられたときの眼光を見れば、むしろ我々こそ剥製、いや生ける屍なのだと気づかされるのである。また、いわゆる軍国主義の権化とも違う。ましてやステレオタイプの戦前の日本人ではない。
 この本はインタビューを中心に小野田さんのこれまでの人生を描いたものである。よくまとまっており、小野田さんがどのような人間かよく分かり、実に興味深い。知れば知るほど興味は深まるばかりだ。また、陸軍中野学校に関する記述も興味深かった。
 小野田さんは「らしく」生きてきたという。だが、それは単に周囲の「空気」に合わせたという意味ではないだろう。天命を受け入れ、「自分らしく」生きたということではないのか。著者が書いているように、状況によって行動を臨機応変に合わせるのは柔軟性、順応性のなせる業。それは確かに真の強さだろう。このような人物を「追い出した」戦後の日本は異常だ。「らしい」日本は、日本人は、そこになかった。小野田さんの帰ってくるべき場所が無くなっていた。かといって戦前の日本も、堅苦しくて小野田さんには生きづらい場所だったのかもしれないが。いや、戦後の日本もある意味堅苦しいのだろう。結局、違うのは表面だけなのかもしれない。あるいはどうでもいい部分だけそのままで、大切な部分が失われてしまったのか。
 小野田さんの「終わらない戦い」、その最後の戦いは、日本を、特に子どもたちを何とかしたい、何としても日本及び日本人を後世に残さなければ、ということである。やはり小野田さんには、このままでは日本は滅んでしまうかもしれない、という気持ちがあるのではないだろうか。これまでの小野田自然塾に加えて、近年、以前よりも小野田さんは言論活動を活発化しているような気がするのは、私の思い込みであろうか。いくら小野田さんといえども、いずれ死は訪れる。いやそれ以上に、日本の死というものが近づいているのかもしれない。そんな中、本当はしたくないのかもしれないが、言論活動をせざるを得ないのかもしれない。
 どうしても小野田さんのことを考えていると、憶測ばかりになってしまう。それはやはり、私のような凡人には掴み切れない部分があるからだろう。今は小野田さん自身の著書「君たち、どうする?」を読んでいる。やはり我々には、この素晴らしい人物から学ぶべきことがまだまだたくさんあるようだ。

小野田寛郎の終わらない戦い

小野田寛郎の終わらない戦い