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啓発録―付 書簡・意見書・漢詩(橋本左内)

 橋本左内、号は景岳であり、吉田寅次郎「松陰」先生と同じく、号で橋本景岳先生と呼ぶことにしている。西郷さんは「一番尊敬していたのは、先輩では藤田東湖、同輩では橋本景岳」と言っており、西南戦争で死んだ時も、景岳先生からの書簡を持っていた。また、藤田東湖は「越前には人物がいない」と嘆く人に対して「越前には橋本がいるではないか」と言った。勘定奉行(幕府の役人)・川路左衛門尉は、「身体の半分を切り取られたような感じがした、これほどの人物は他に会ったことがない」と言い、外国奉行(幕府の役人)・水野忠徳は「井伊大老橋本左内を殺したるの一事、以って徳川氏を亡ぼすに足れり」と喝破した。井伊直弼は、本来流罪となるべき景岳先生の判決書を、わざわざ死刑に書き改めたのだった。
 この本は講談社学術文庫の一冊。橋本景岳先生の「啓発録」などを訳注付きで収録した文庫本である。この本を読むと景岳先生のことがよく分かるが、先に平泉澄先生の「物語日本史」を読んでおくと、より理解しやすいだろう。景岳先生のことは下巻で一章を立てて説明されている。
 例えば「物語日本史」には、以下の一節が紹介されている。

稚心とは、をさな心と云ふ事にて、……十三四にも成り、学問に志し候上にて、この心毛ほどにても残り是れ有る時は、何事も上達致さず、とても天下の大豪傑と成る事は叶はぬ物にて候。……(21P、啓発録「去稚心」より)

もう一節、物語日本史とは無関係に選んでみた。

……侍に生れて忠孝の心なき者はなし。……志なき者は、魂なき虫に同じ。……(31,32P、啓発録「立志」より)

また以下の言葉も、この本の書簡に出てくるので、詳しく知ることが出来る。

「元来皇国は、異邦と違ひ、革命と申す乱習悪風これ無きこと故」、今日といえども、神武天皇の御遺訓を守るほかはありません。その御遺訓は、「人、忠義を重んじ、士、武道を尚ぶ」、この二箇条であります。「此の二か条、皇国の皇国たる所」であって、これをシナや西洋に比較するに、優劣は雲泥の相違であります。(平泉澄「物語日本史(下)」119P)

漢詩の一節として、「物語日本史」では以下の部分が紹介されているが、この詩もこの本に収録されている。この詩は七言絶句である。

誰か知らむ、一片清輝の影、
嘗て澳門の白骨を照らし来るを、
平泉澄「物語日本史(下)」121P)

 啓発録の他には、書簡、意見書、漢詩などが収録されている。それぞれの解説は巻末にまとめられているので、解説を読んでから本文を読んだほうが理解しやすい。
 若いが年上である藩主に対して、全く臆したところのない指導の言葉、同志に対する忌憚なき忠告、将軍継嗣問題、開国か攘夷かの問題、「将来は日英同盟日露戦争か、日露同盟・日英戦争か」という見通し、朝廷への進言など、書簡からは景岳先生の高い見識と堂々たる人格を学ぶことが出来る。
 最後に載っている文章は平泉洸(平泉澄先生の長男)の講演録。非常に分かりやすく景岳先生のことを紹介しているので、この文章から読み始めるのもよいかもしれない。
 以下のサイトでも啓発録の原文と口語訳が読める。
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/jpn/sanai/keihatu.html

啓発録 (講談社学術文庫)

啓発録 (講談社学術文庫)