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インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実

 「日本人はとても素敵だった」から始まった、シリーズ日本人の誇り第6弾。
 インドネシアの元国会議員、元大使、元中将・元国連大使、元大将、という4人の人々と、デヴィ夫人が、インドネシアの戦前・戦中・戦後を語る。いや戦後と言うのは正しくない。日本の戦争で、真に戦争が始まったのだ、独立戦争が。
 4人のうちの一人、ハッサン氏は、南方特別留学生として広島に来ていて、原爆により被爆している。しかし放射能をほとんど受けなかったらしく、健康に大きな影響はなかったようだ。
 デヴィ夫人は、言うまでもなく初代大統領「独立の父」スカルノの夫人であり、彼やインドネシアの人々(おそらく地位のある)の話や、靖国神社について語っている。


 インドネシアイスラム教徒がほとんどだが、日本の軍政時代も、宗教が弾圧されることはなかった。天皇陛下への最敬礼も、準・最敬礼とでも呼ぶべきか、敬礼で許されたし、仕事中でも1日5回の礼拝が認められた。
 植民地時代は食糧などに困ることはあまりなかったようだが、学校へ通うことが出来るインドネシア人はごく一部で、オランダ人や中国人とは差別されていた。日本人は商店やデパートを営む者が住んでおり、オランダ人と階級的には同じだったらしい。また、インドネシア人の言語は統一されておらず(例:インドネシア語の他にジャワ語もある)、相互の連絡が難しかったようだ。よってインドネシア人の知的水準は低く、何より誇りも愛国心もなかった。フィリピンなどと比べ、インドネシアにとって独立など夢のまた夢という状態であった。
 大東亜戦争末期は、物資が日本内地に送られ、人々の生活が苦しくなったというのは、仕方がないことだと思うし、憲兵の厳しさも、日本人(軍人含む)に対しても同様だったというから、日本人の中に横暴な者もいたにしても、総合的に見れば目を瞑ってもらえる程度のことで、彼らは日本に感謝してくれている。とりわけインドネシア語を含む教育の普及や、インドネシア人の軍政への参加、PETAの創設などが大きかった。PETAはインドネシア国軍の前身と言える軍隊だった。

憲兵隊はインドネシア人だけを連行し、日本人には甘かったかというと、そうではなく、日本人に対してもインドネシア人に対してと全く同じに厳しかったのです。……憲兵隊の軍曹は、階級では自分よりもはるかに上の大佐を逮捕する権限がありました。ですから、日本軍の将校たちでさえも憲兵隊を非常に恐れていたのです。私たちも憲兵隊のことを非常に怖がっていましたが、一方で、彼らがいることで治安と秩序が保たれていることも分かっていて、平和に過ごすことが出来ました。(39P)


 「シリーズ日本人の誇り」は、その1「日本人はとても素敵だった」、その2「帰らざる日本人」を読んだことがあり、どちらも名著だった。その3「母国は日本 祖国は台湾」、その4「素晴らしかった日本の先生とその教育」、その7「フィリピン少年が見たカミカゼ」の3冊は読んでいない。5は欠番なのか、検索しても見つからなかった。台湾だけでなく、インドネシアやフィリピンの人々の語りも出てきて、今後はどのような本が出版されるか楽しみだ。インド、ビルマ、マレーシアあたりの人々の話も聞いてみたい。