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天皇明仁の昭和史 高杉善治

 「貧しいけれど周囲の愛情に見守られた少年時代。御用掛だけが知る真実。大東亜戦争下、そして戦後の混乱期における今上天皇の唯一の記録。」
 高杉善治氏は天皇陛下が小学6年生から高校1年生までの5年間、御用掛などで陛下のお側で務めた人物。戦災や火事により、当時の陛下の記録は残っておらず、この本は唯一の資料らしい。
 陛下が少年だった頃、戦争のために本当にご苦労なさったのだと分かり、またそれによって御人徳が一層高まったこと、いつも朗らかでお優しいこと、ご学友や高杉善治氏ら周囲の人々との触れ合い、などを知ることができる。そのためますます敬愛の思いが強まった。仁愛や不屈の精神は、国民の上に立つお方だけあって、普通尋常ではないが、別の面では、いい意味で我々と同じ、一人の人間なのだ、と感じた。おそらくそれまでの御歴代天皇が経験なさったことのない、庶民的な生活を学ばれて、君臣一体と言うべき親愛感が自然に生まれる、そんなお人柄になったのだ。
 この本を読めば、皇太子時代の陛下と一緒に生活していたかのような気持ちになれる。開かれた皇室、それはこの本を読むことで達成されるのではないか。ここには国民に開かれた天皇陛下の「思い出」がある。
 この本で初めて知ったことだが、皇太子を奉じて徹底抗戦を行おうとする反乱軍もいたという。しかし実行前に中止された。また、アメリカが皇太子を拉致しようとしているとの噂もあり、真剣に対応が考えられたとの事だ。


(註:戦争末期、奥日光の湯元で)食糧事情はさらに窮迫し(註:皇太子=現在の天皇は)学友と共に湖の魚を釣り、イナゴをとり、野草を摘み、木の実や草の実を食べながら、勉強を続けられるという状態(6P)


平素は天皇陛下(註:昭和天皇)も職員も配給の食糧を食べるよりほかに方法がなかった。(130P)


終戦直後で物資が不足し、交通機関も大混乱で旅行をするときも困難なときに、はるばる青森や九州の果てからも、皇居や御所の復旧のために、わざわざ食糧を持参して勤労奉仕に来られた。(142P)

天皇明仁の昭和史

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