人権擁護法案マガジン・ブログ版

人権擁護法案マガジンのブログ版です。人権擁護法案反対VIP総司令部まとめサイトはこちら http://zinkenvip.fc2web.com/

天皇原論・前編〜戦前と戦後で天皇の役割は変わったか?

 以前ちょこっと書いた文章を大幅に加筆、修正した。「武士道とは何か」と同様、中途半端な内容で申し訳ないが、現時点での自分の考えを簡単にまとめてみた。


 日本国憲法では「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」となっており、このことは象徴天皇制と呼ばれているが、明治憲法占領憲法天皇の権力は変わったかというと、それほど変わっていない。君臨すれども統治せず。


 明治憲法には第1条「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」とあるが、第5条「天皇帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」、第55条第2項「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅国務大臣ノ副署ヲ要ス」、第57条「司法権天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ」とあり、天皇の独断で法律、勅令などを発布することはできなかった。また、議会や内閣の決定を覆す拒否権もなかった。唯一の例外が、2・26事件と終戦の二回の御聖断であるが、これは拒否権の行使ではなく、非常時に政府の代わりに大権を行使するというものである。
 第6条「天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス」、第7条「天皇帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス」、第15条「天皇爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス」、第16条「天皇大赦特赦減刑復権ヲ命ス」のような規定は日本国憲法にもある。日本国憲法第6条「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する」、第7条「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。国会を召集すること。衆議院を解散すること。国会議員の総選挙の施行を公示すること。国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。大赦、特赦、減刑刑の執行の免除及び復権を認証すること。栄典を授与すること。批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。外国の大使及び公使を接受すること。儀式を行ふこと」。


 明治憲法占領憲法も、天皇立憲君主とし、占領憲法においても事実上の国家元首の地位としている。その地位と権威は首相や国会よりも上である(首相の任命や議会の召集を行うから)。両者の違いは憲法制定者が誰かということ(もっとも、日本国憲法国民主権と言いながらも欽定憲法の改正と称しているが)、自然状態における主権者(日本国憲法は社会契約説であると思われる)の二点にある。

竹田恒泰 皇室のきょうかしょ vol.14 天皇は「元首」か?
http://www.fujitv.co.jp/takeshi/column/takedatsuneyasu/takedatsuneyasu14.html
日本政府は、天皇は元首であるという立場に立っています。(昭和63年10月11日、参議院内閣委員会、大出峻郎内閣法制局第一部長答弁)

 基本的に、天皇は権威ではあるが権力者ではない。天皇の権力は、ゼロに近くて構わない。実際、明治憲法ではそんな感じだった。天皇が権力を持てば、必ず無答責であることができなくなる。神聖を汚さないため、天皇の権威のためには、権力は非常時の大権などに限定されるべきである。天皇の権力が制限されたのは、明治天皇以来の陛下御自身の御意思であり、臣民の横暴ではない。帝国憲法第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とは、無答責という意味であり、神聖は宗教的な意味を含まない。そのため敗戦後の改正案では「天皇ノ一身ハ侵スヘカラス」とあった。
 立憲君主制とデモクラシーは相性がいい。共和制(大統領制)では権威者がいないため、独裁者が誕生しやすい。ヒトラーを生んだのもワイマール共和国だった。フランス革命ロシア革命など、反君主の政府は全体主義に繋がりやすい。立憲君主制のほうが国体=憲法を重視し、穏やかな改革を望む傾向がある。特に日本の歴史では、皇室や尊皇の志士は仁政を行い、反逆者は私利私欲をほしいままにする。唯一の例外が、やむを得ず矛を取った西郷さんである。