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盧溝橋事件から70年

 今日は七夕です。伊福部昭の日本組曲(第2曲は七夕と云う)を聴きながら書いています。
 また、こんな歌もあります。「荒海や佐渡に横たふ天の河」 最近読んでいる「ビギナーズクラシックス おくのほそ道」に出てきた歌です。この本は李登輝さんの影響で読んでいるのではなく、しばらく前に買って半年以上眠らせていたのです。正直、それほど面白くありませんが、芭蕉の歴史や国土、先人への愛情と、旅の健脚ぶりが伝わってきて、なかなか味があると思います。本当にものすごい距離の長旅です。
 また、ちょうどリンゴ・スターの「リンゴ」や「リンゴラマ」を聴いていて思い出しましたが、今日は彼の誕生日でもあります。
 さてさて、実は今日は、ただの七夕やリンゴ・スターの誕生日ではありません。あの盧溝橋事件から70年になるのです。1937年の7月7日夜、何者かが日本軍に発砲、日本軍と支那国民党軍とは少しの間、交戦状態に入りましたが、それほど大事になる前に解決されました。しかし、これを皮切りに共産党の策謀は一層激化し、支那全体が反日の炎に燃えていきました。そんな中で起きた通州事件などで、日本でも反支感情は強くなる一方であり、やがて支那事変が始まります。この事変については、大東亜戦争の直接の原因であるにもかかわらず、未だに十分な研究がなされていないと思います。原因は何だったのか、日本はどう行動すべきだったのか、その行動は果たして可能だったか。この事変で日露戦争の2倍の20万人が戦死したと言われています。その一方で、当時ですら誰にも戦争目的は分かりませんでした。目的がわからないのに、日露戦争の2倍の戦死者が出ている、この時点で昭和の日本は異常だったのです。その異常性とは、一般に「軍国主義」と呼ばれている当時の「空気」もそうですが、それだけではない何かがあるはずです。その点を研究しなければ、日本人に進歩はありえません。