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北朝鮮との間に重大な結果が生じる

日本再生ネットワークより

自民、「国家の威信かけ拉致解決」参院選の外交公約
(日経 07/5/17)
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070517AT3S1600R16052007.html
 自民党が7月の参院選で掲げるマニフェスト政権公約)の外交分野の骨格が固まった。
 安倍晋三首相が優先課題とする拉致問題について「国家の威信をかけて解決する。米国との連携を強化しつつ、拉致被害者全員の帰国を目指す」と明記。
 中韓両国との関係は「友好関係をさらに深化させ、アジア地域の安定と繁栄に貢献する」としている。
 公約は北朝鮮問題やイラク復興支援などに関連し、改めて日米同盟の重要性を強調したのが特徴。
 減額傾向にある政府開発援助(ODA)を「重要な外交手段」と位置付け、来年の主要国首脳会議(洞爺湖サミット)開催を機に「再び拡充に転じさせることを国際社会に強く発信する」ことも盛り込んだ。

公約には「国家の威信をかけて拉致被害者全員の帰国を実現する」とある。公約したからには絶対に拉致被害者を奪還してくれないと困る。公約とはそのくらい重い。日本再生ネットワーク(メルマガ)を発行している「桜魂」には、最近まで以下の記事がトップに出ていた。


桜魂 北朝鮮との戦争を!!
http://nippon7777.exblog.jp/4558606/

 ……そんな時間の流れの中で、この10年近くの家族と有志の運動により、広がりは出来た。あとは解決に向けての認識の深さが足りないのではないだろうか。
 その深さとは何か。それは、「覚悟」に他ならないと思う。
 その「覚悟」とは何か。それは、北朝鮮と「戦争をしてでも取り返す!」という覚悟ではないだろうか。
 拉致について論評する人は多いが、「戦争をしてでも」という事を言う人はほとんどいないように思う。
 「戦争をしてでも」と思っていても、言い出せないのが現実の我が国の状況であることは十分知っているが、それでもなお、「戦争をしてでも」と言い出す時期が来ているのではないだろうか。
 そのような気迫を取り戻さないと、100年後、同じ日本人から「平成のような日本人にだけはならないようにしよう」と笑われる時代が来るように思う。……
 国民がいくら言ったところで、今の政府が、「ハイそうですか」といって、戦争をする覚悟が出来るはずもないことは重々知りつつも、それでもなお、国民の側としては、勇気を持って、非難される事を覚悟で、「戦争、辞さず」の声を出していく事が大事だと思う。
 もちろん、この声は、家族の側からは絶対に言えないことであるので、支援する側が声を出さなければならないと思う。
 そういう意味では、家族会と離れた距離で声を出すのも大事な事なのかもしれない。
 我々は、ある意味、家族会の人を頼りにやってきた面が多々あるが、そろそろそれを止めて、一国民として、「戦争、辞さず」という声を盛り上げていくべき時が来ているのではないだろうか。

 私は「拉致問題によって北朝鮮と日本との間に、重大な結果(grave consequence)が生じる」と言っておこう。いや「生じる」ではなく、日本が起こす「結果」である。
 今の日本は戦争を選択肢から外しているが、「戦争も辞さず」としておかなければ、相手がやりたい放題になるのも当然ではないか。今の日本の態度は、最も戦争に繋がる危険なものである。
 拉致問題は少なくとも国内に於いて人権問題である。拉致被害者を見捨てるのは日本国家が日本国民の人権を無視する、侵害することであり、断じて許されない。国民の生命と自由を保障することが国家の最大の任務である。
 平和と人権は矛盾することもあると思う。私は平和より人権を取る、と断言は出来ないが、どちらかと言えばそのように考えている。同じ国民である拉致被害者を、我々は見捨ててもよいのか。他者の人権を無視してまで平和が大切なのか。いや、それが本当に平和と言えるのか。七人の侍のように、「負け戦」をすべきではないのか。確かに、数十、数百の拉致被害者のために、一億数千万の国民を危険にさらすことは、安易に決断できる問題ではない。しかし、仮に拉致被害者の人数が100万人だったらどうするのか。10万人なら?1万人なら? それだけの人数が拉致されたなら、必ずや戦争になっただろう。しかし人数の問題なのか。100人だったら人権を無視してもいいのか。それならば、「一人の無辜を救うために、百人の罪人を逃す」というデモクラシー裁判の鉄則はどうなのか。たった一人の無辜のために、百人の罪人を逃すのは、間違っているのか。
 拉致問題解決のためには国民的議論が必要であり、最終的には国民投票によって事の是非を決すべきではないでしょうか。日本人は今一度、デモクラシーや人権について深く考えてみる必要があると思います。