日本資本主義について
以前にも書きましたが、今一度、日本資本主義の精神についてまとめておきます。以下と重複する部分はできるだけ省きますので、合わせて読んでください。
[book]現代語抄訳 二宮翁夜話(二宮尊徳、福住正兄、渡辺毅)
http://d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20061225/1167052710
[book]日本資本主義の精神(山本七平)
http://d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20061119/1163934550
二宮尊徳
フランクリンは勤労と質素という徳性をひじょうに大切に考えています。つまり、ひたすら勤労に励むだけではなく、できるだけ無駄な浪費を抑えて、その貯蓄をさらに投資に振りむけよ、というのです。(小室直樹「日本資本主義崩壊の論理」129P,大塚久雄の引用)
二宮尊徳の「勤倹譲」(勤労と倹約=分度と推譲)という考え方は、これに非常に似た考え方です。彼はこう言っています。
いったい私が倹約を尊ぶのは、用いるところがあるからだ。住居を簡素にし、衣服を悪くし、飲食を粗末にするのは、資本を作り、国家を富有にし、万人を救済するためだ。(「日本の名著26」238P、二宮翁夜話)
また、上杉鷹山は自分の生活費を削って、産業振興に投資しました。この二人の思想と行動は「できるだけ無駄な浪費を抑えて、その貯蓄をさらに投資に振りむけ」るというものだったのです。驚くべき一致ではありませんか。
……これ(註:将来の自分や子孫に譲る)より上の譲とは何か。親類・朋友のために譲るのだ。郷里のために譲るのだ。もっとできがたいのは国家のために譲ることだ。この譲もつまるところは、わが富貴を維持するためであるが、眼前に他に譲るからできがたいのだ。(日本の名著26」261P、二宮翁夜話)
しかし、資本主義と違う点は、利子の肯定がほとんどない、あるいは全くないということです。逆に資本主義と一致している点として、二宮尊徳が賃金を増やすと、人々は一層勤勉になったということです。既に資本主義が始動していた証拠です。なぜかと言えば、資本主義でない場合、賃金を増やすと、その分働かなくなります。伝統主義というものもあって、生活水準を上げようとしません。推譲(将来の自分の為も含む)のために貯蓄しようともしません。
下級武士のエトス
小室直樹は、下級武士(勤皇の志士)のエトスが日本資本主義の精神であると言います。つまり天皇のための行動的禁欲が、労働における禁欲に繋がったこと。天皇のための伝統主義打破が、企業経営における革新に繋がったこと。この2点を強調しています。
下級武士の行動的禁欲の発端は、山崎闇斎の思想のみならず、性格にあったと思います。
「100万の大長者も殆ど将棋倒しの如くに潰れ」(宮本又郎)、「江戸時代に栄えていた商家でこの移行期に衰亡、消滅したものは数多かった」(同)。三井、住友、鴻池のような例外もあったが、それは支配人、番頭を(註:下級武士に)入れ替えて、革新ができるようなシステムに改めたからである。(小室直樹「資本主義のための革新」231、232P)
また、何で読んだか不確かなことですが、下級武士が企業家になった結果、企業の組織は藩と似たものになり、藩は共同体であったため会社も同様に共同体となった、とのことです。しかし小室直樹は、戦前の企業は共同体ではなかったと言います。一方で、官庁は戦前から共同体であった(例:陸海軍)ので、日本で機能集団が共同体になる理由は、よく分かりません。あるいは、日本に限らず前近代的な組織の特徴ということかもしれません。
日本社会が平等となったのは(特に戦後)、企業が共同体となり、給料の差が小さかったからです。また、能力主義ではなく年功序列となるので、平等なのです(もっとも、機会の平等ではないが)。共同体である企業の持ち主は、当然株主ではなく社員です。
しかし、不景気になってくると無理が出てきましたので、リストラが行われ、正社員の代わりに派遣社員やアルバイトを雇うようになってきました。正社員は共同体の一員で、平等に扱わねばなりませんから、給料も高いのです。それに対して派遣社員やアルバイトは、共同体の一員ではありませんから、いつでも首にできるし給料も安いのです。
機能集団が共同体になるのは日本資本主義の精神なのか、それとも別の理由によるのか分かりませんが、格差社会というのはこういうメカニズムではないかと思います。もっとも、少し考えただけなので自分でも半信半疑といったところですが。格差を無くすには景気をよくして、正社員を雇うようにすればいいのだと思います。
また、格差がないことが受験戦争の原因(階層構成原理となっている)ので、場合によっては格差が生まれて受験戦争がなくなって日本がいい方向に行く、ということもあるかもしれません。何にしても、私の根拠のない意見より、科学的分析と思想(格差の是非)ですね。
格差があったほうがいいという場合でも、餓死する人間がいてはならないのは、当然です。政府、民間の双方が努力して、保護なり就職支援なり、しなければなりません。二宮尊徳のように無利子でお金を貸したり、家を貸す(家賃は就職後に返す)など方法はいくらでもあるでしょう。ただし、やりすぎると社会主義になるので、仁慈と過保護の区別が必要です。
二宮尊徳の生涯
二宮尊徳(金次郎)は百姓で、子供の時に父母を失い、先祖代々の家、田畑も手放さねばならなかった。そして親戚の家で育ち、学問の暇があるなら労働しろと言われ、家の者がみんな寝てから、自分で買った油で灯りを点けて勉強した。一日中、労働し、その上でさらに学問したのだった。彼が薪を背負って歩きながら読書している有名な像は、実際にしていたことか分からないが、そのくらい勤勉であった。成人すると彼は家、田畑を買い戻した。
これだけならば、ただの立派な少年、真面目な百姓で終わっていただろう。しかし、彼の真価が発揮されるのはこれからで、少年時代はそのための修行に過ぎなかった。彼は藩主に見出され、荒廃した農村の復興を命じられた。尊徳は何度の辞退したが、藩主が彼の賢明さを見抜き、何度も依頼し、遂に彼は事業を受けた。数年あるいは十数年が経つと、絶望的だった農村がすっかり模範的な農村になった。周囲の藩からも尊徳に相談や依頼が来るようになり、やがて幕府に雇われることとなった。身分制の時代に、幕末とはいえ、百姓から幕府の役人にまで出世した彼は、今で言う経営コンサルタント、経済学者、政治家であった。同時に偉大な哲学者でもあった。
彼の報徳仕法、報徳教(報徳思想)と呼ばれるやり方は、彼の代表的な伝記である「報徳記」が明治天皇の天覧に供されたことからも分かるとおり、明治以降には一層全国民に広まることとなった。いくつかの本は政府によって発行された。学校教育では二宮尊徳が最も模範的な人物であるとされたが、それが必ずしも報徳教の普及に役立ったとは言えないかもしれない。むしろ少年時代のことが教科書には掲載されたようだ。
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