人権擁護法案マガジン・ブログ版

人権擁護法案マガジンのブログ版です。人権擁護法案反対VIP総司令部まとめサイトはこちら http://zinkenvip.fc2web.com/

小室直樹の「痛快!憲法学」を読む 第13章前編

バブル崩壊の原因

 それは総量規制という大蔵省・土田正顕が出した通達でした。この行政指導は法律ではないため、議会が無関係であるばかりか、大臣すら無関係だそうです。官僚は日本経済を私物化し、社会主義以上の権力を振るっています。そればかりか、無能で、にもかかわらず汚職天下りをして当然という顔をしています。なぜ官僚はこのような振る舞いをしているのでしょうか。

デモクラシー以前、以後

 専制君主の官僚制を家産官僚制といいます。専制君主のもとでは国家も国民も、国民の財産の一部たる税金も、みんな君主の私有財産と見なされました。そのため、君主の家来である官僚たちには、税金は国民のものであるという考え方などあるはずもなく、彼らが自由にしていいお金であると考えられました。日本の官僚制も、本質的には家産官僚制であるといいます。では、デモクラシーが成立すると官僚制はどのように変わるのでしょうか。まず第一に、税金は主権者たる国民のものである、という考え方が生まれます。家産官僚制に対して依法官僚制と呼ばれます。その名の通り、法に依って動きます。

言い換えれば、近代の官僚は「法律の実行マシーン」である。(257P)

しかし、日本の家産官僚たちは法律など守らずに、

あらゆる官庁の役人は、日本経済は俺のものだと思って、今なお各業界を指導・監督しています。(258P)

これでは経済がまともに動くはずがない。しかも日本の官僚には伝統主義が強く生き残っています。伝統主義によって、1940年体制(戦時統制経済)のままなのです。はっきり言って資本主義とあまりにもかけ離れているではありませんか。では、一体どうしたらいいのでしょうか。まず第一には、資本主義の精神、いや憲法を蘇らせることです。一年、一日、いや一刻も早く依法官僚制を目指さねばなりません。しかし、

依法官僚によせ、家産官僚にせよ、官僚というものは放っておけば、自分の権力をどんどん肥大化させ、腐敗していくものと相場が決まっています。……したがって、官僚とは本来、悪であると考えたほうがいい。(259P)

依法官僚制が実現できても、それで終わったらまた腐敗してしまいます。これを防ぐヒントは支那にあった。伊達に四千年の歴史を持つ大陸ではありません。官僚の権力が肥大化し腐敗するのを防いでいたのは、宦官です。宦官(かんがん)とは皇帝の宮殿に住む召使いで、去勢された男のことです。官僚と宦官は対抗意識を持っていたので、それによって不思議と官僚制の腐敗は防がれていました。さらに御史台(ぎょしだい)と呼ばれる組織があり、「疑わしきは罰する」という恐ろしい原則のもと、官僚は次々に死刑になっていきました。そうまでしなければ官僚制の腐敗は防ぎきれない。いや、これでも防ぐことはできなかったと言えるでしょう。この本には出てきませんが、アメリカにはスポイルズ・システムという、政権交代の際に官僚を全部入れ替える制度があります。また、日本の官僚制が腐敗する原因の一つに、機能集団が共同体になるということがあります。帝国陸海軍をはじめ、全ての省庁、企業が共同体になり、特に省庁は伝統主義に縛られるようになるのです。しかも二重規範という特徴もあります。官僚以外は人に非ず、か。

マックス・ウェーバーは「最高の官僚は最悪の政治家である」と述べています。……政治家たちが上手にコントロールして、初めて官僚の力を活かすことができる。その好例が田中角栄です。(261P)

さらに官僚は法律や過去の慣習に関する知識は豊富ですが、新しい制度を作ったり、新しい問題に対処する能力はありません。しかも日本の場合は科挙の害があります。科挙とは昔の支那の受験制度(二千年近く続いた)ですが、要するに受験戦争のことです。受験勉強しかやらない人は、生きた学問が得られず、無能人間になってしまうのです。 よって、官僚から政治家になっても、「最悪の政治家である」可能性が高いのです。そこで政治家は、官僚をコントロールして次々に生まれる新たな難問を解決していかねばなりません。しかるに現在日本の政治家は、逆に官僚に操られているではありませんか。では立派な政治家はどのように生まれるのでしょうか。結局、それは他人任せではいけないのです。「俺が(私が)日本を守る。いい国にする」という意識、そして国民全体にデモクラシーが理解されること、これによって議会政治、デモクラシーは機能するようになるのです。それでは、次回に続きます。

日本人のための憲法原論

日本人のための憲法原論