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小室直樹の「痛快!憲法学」を読む 第12章中編

軍部大臣現役武官制

 陸軍の三長官会議(大臣、参謀総長教育総監)は、復活した軍部大臣現役武官制(武官は現役の他に予備役、後備役などがある)を利用して、自分たちに都合のいい内閣を作りました。気に入らない総理大臣は組閣できないようにしたのです。このことを平泉澄先生は、

陸海軍は、……勅命を奉じ、勅命に従って一意御奉公すべきであります。しかるに只今は宇垣大将に組閣の大命が下ったのでありますから、その組閣に反対するといふ事は、勅命に違背し、大権を干犯することになります。……陸軍の三長官会議に於いて陸相を出さない決議をしたりする事は、許さるべきでありますまい。(植村和秀「丸山眞男平泉澄」206P)

このように、尊皇とデモクラシーの両面に於いて致命的な問題でした。しかし、小室直樹は完璧な法律や制度などありえないと言います。欠陥があれば修正すればいい、修正するためには議会が必要だ、と。その議会が自殺したのですから、戦前日本のデモクラシーは、国民・マスコミ・政治家(国会議員)によって殺されたのです。軍部の暴走はここから度を増していくのです。

選挙に消えた林(陸軍大将)内閣

昭和12年(1937)、林銑十郎という陸軍大将が総理大臣になりました。彼は内閣に反抗的な議会を解散させました。そして総選挙。その結果、反軍的な議員が多数当選して戻ってきました。

この結果、とうとう在職わずか4カ月で林は総辞職を余儀なくされた。(238P)

選挙と予算案(の否決)が議会=デモクラシーにとって最大の武器なのです。予算が全てを決することは、欄外にこう書かれていることからも分かります。

ヨーロッパでは軍事予算を可決した議員もまた戦争責任があると考えるのが普通である。(239P)

議会が最後の砦である理由

議会に集まる議員たちの後ろには、彼に1票を投じた大衆が控えている。これこそが議会の力の正体です。(240P)

議員は国民全体を代表しているからこそ強いのです。それと同時に、議会が死ぬということは世論が軍部を支持したからなのです。小室直樹は「日本教」によってそれを説明しています。「日本教」については山本七平小室直樹日本教社会学」を読んでください。ただ、空気は日本以外にも存在します。例えば第1次大戦後の欧州に生まれた平和主義の空気。
 支那事変が起きた原因はここでは省略しますが(私もはっきりしたことは言えないので)、政府も軍部も終結させることができず、「いつまでやっているのか」と言われてしまうようになります(斉藤隆夫の演説など)。その批判を回避するために、「支那事変は聖戦だから止めることはできない」と言われるようになったのです。しかし、それだけならば、「支那事変は聖戦である」という空気は生まれなかったでしょう。結局のところ、国民が支那事変に興奮しすぎたのです。そして生まれた空気によって、議会は自殺してしまったのでした。私は支那事変も大東亜戦争も日本が始めたのではないという考えですから、ここでは開戦責任、敗戦責任のことは言いませんが、ともかく戦前の日本からデモクラシーが消えたのは、国民がそれを望んだからです。国民、マスコミ、議会の責任は重い。次回に続きます。

日本人のための憲法原論

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