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小室直樹の「痛快!憲法学」を読む 第11章前半

 第10章は経済学の話で、要約するのが大変なので省略とします。しかしいくつかの点は書いておきます。まず、利子率は2%以下になってはいけないということ。それからもう一つ、

古典派の教えに従って規制緩和をしたところで、元来が資本主義ではないのだから、その効果は知れたもの。……ですから、まず日本人全体が資本主義の精神に戻ることです。(207P)

そして資本主義は憲法、デモクラシーと三位一体だから、それらとともに復活させなければならないと言います。
 なお、無限等比級数が出てきますが、こんなところでも(高校レベルの)数学が役に立つのです。さらに予定説のところで使った「必要条件」「十分条件」という言葉は、確か中学で習う数学だったはずです。数学の話は小室直樹著「数学を使わない数学の講義」あるいは「数学嫌いな人のための数学―数学原論」を読んでみてください。中学生でも老人でも楽しく読めます。

天皇教の原理─大日本帝国憲法を研究する

というのが第11章のタイトル。まず天皇教という用語ですが、江戸時代に生まれた尊皇思想のこと、と考えて差し支えないと思います。少なくとも「国家神道」ではありません。国家神道については以下を参照してください。
[book]国家神道とは何だったのか(葦津珍彦)
http://d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070311/1173613828
[book]「現人神」「国家神道」という幻想(新田均
http://d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070312/1173709974
また、私の帝国憲法論は以前、以下にまとめました。
[憲法]私の憲法論(帝国憲法を考える)
http://d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070327/1175004405
 さて、デモクラシーや資本主義は予定説から生まれた、という話でした。実際、キリスト教の無い中東、インド、中国、日本などからは、それらの思想は生まれませんでした。あくまでデモクラシーは特殊なものだということを忘れないでください。
 時代は明治、日本は不平等条約を押し付けられ、半独立、半主権国家となっていました。日本政府は不平等条約を改正しようとしましたが、欧米諸国はデモクラシー、資本主義が未熟か、あるいは無である場合、主権国家として扱ってくれません。また、近代的な軍隊を持つためには近代的な産業が必要であり、日本を守るためには産業の近代化が必要だったのです。そして、産業革命は資本主義なくして不可能です。よって日本帝国は資本主義、デモクラシー、近代法憲法含む)を推進するほかありませんでした。

明治政府が官営工場や鉱山の経営を行ったのは、岩倉使節団までの話です。(212P)

岩倉使節団が欧米に行くと、不平等条約は資本主義国になるまで改正しないよ、と言われてしまいました。そこで帰国した政府の人たちが考えたことは、予定説の代わりを探すことでした。

そこで明治政府がまず最初に考えたのは、資本主義精神の本場であるアメリカの教科書をそっくり子どもたちに教えることだった。……初期の学校教育では何とアメリカの教科書である「ナショナル・リーダー」をそっくりそのまま翻訳して使った。(212P)

しかし、いくらなんでも教科書を翻訳してそのまま使うのはまずい。やっとこさ見つけたプロテスタント的人物、資本主義の精神の体現者、それが、かの二宮尊徳先生。朝から晩まで(いや深夜も)労働と学問に打ち込んだ二宮金次郎少年こそ、日本版ピューリタンというわけです。「一生懸命に働け。儲けようと思うな、真面目に働けば金は勝手に貯まる。買うほうも売るほうも喜ぶ、貸すほうも借りるほうも喜ぶ、そういう道理に合った商売をしろ。天命をわきまえ、自分の職業を一生懸命に励め。分度を守って余った分を推譲しろ」最後のは投資をも意味します。とにかくもう、これ以上の人物はありません。完全に資本主義的です。しかも、キリスト教、西洋資本主義の影響は全く受けていません。 詳しくは以下を参照してください。現在、報徳記(日本の名著26)を読んでいますが、やはりすごいです。すごすぎます。
[book]現代語抄訳 二宮翁夜話(二宮尊徳、福住正兄、渡辺毅
http://d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20061225/1167052710
[book]日本資本主義の精神(山本七平
http://d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20061119/1163934550
次回へ続きます。

日本人のための憲法原論

日本人のための憲法原論