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小室直樹の「痛快!憲法学」を読む 第9章後半

平和主義者が戦争を作る

 前回は、憲法第9条ケロッグ・ブリアン条約のコピーであり、自衛戦争(要するに全ての戦争)を合法としているという話でした。

ケロッグ国務長官は「自衛戦争は対象外です」と明確に答えた。(174P)

 さて、戦後の日本のように、第1次大戦後のヨーロッパでは強烈な平和主義が生まれました。どのようなものかは、今更説明するまでもありません。戦後の日本と同じです。そして結果が国際連盟であり、パリ不戦条約の締結でした。

かのイギリス首相ウィンストン・チャーチル第2次大戦を回顧して、次のようなことを言っています。すなわち、「平和主義者が戦争を起こした」と。(174P)

関係ありませんが、ジョン・レノン(1940年生まれ)のミドルネーム「ウィンストン」はチャーチルから取ったものです。
 では、「平和主義者が戦争を起こした」とはどのような意味なのでしょうか。

<シマジ その平和主義者とは誰のことなんですか。まさかヒトラーじゃないですよね。>
ヒトラーはもちろん平和主義者などではありません。しかし、ヒトラーをあそこまで増長させ、ナチス・ドイツの力を大きくさせたのが、平和主義者の政治家であり、大衆であった。(175P)

では、ヒトラーはいかにして平和主義を利用してドイツを強くしたか。まず、ベルサイユ条約を破って再軍備を開始した。講和条約破棄は、ほとんど戦争再開と同じ意味だから、普通ならフランスやイギリスが攻め込んでくるところだ。しかし、ヨーロッパは今や平和主義一色。ドイツに攻め込むなんて、とてもとても。言い出すことすらできない。あたかも「核武装は議論すらいけない」というような状態。あっという間にヒトラーはドイツ軍を再建しました。そして遂に、国際連盟の管理下にあったラインラントに進駐し、ここをドイツ領として取り戻したのです。工業地帯であるラインラント地方を取り戻し、いよいよドイツ軍は強力になっていきます。しかしフランスもイギリスも、蔓延している平和主義によって、とても戦争なんて起こせません。ドイツが強くなるのをただ見ているだけです。続いてオーストリアなどを併合。そしてミュンヘン会談において、スデーテンラントまで手に入れます。ここはチェコスロバキアの防衛の要であり、フランスの防衛にとっても重要な地域。しかし、くれないなら戦争を起こすぞというヒトラーの脅しに屈し、平和を守るためだからと、ここをドイツに渡してしまいました。やがてチェコスロバキア自体もドイツに併合されます。無敵ドイツ、戦争を起こさずに領土も軍隊も大きくなった。そして最後はポーランドに進撃し、第2次大戦が始まったのです。ドイツ軍は英仏・ソ連の二正面戦争をやっても勝てそうなほど、欧州最強になっていました。もし早い段階で叩いていれば、一瞬で戦争は終わったでしょう。あるいは、戦争する姿勢を見せて一向に譲歩しなければ、ドイツは強くなれず、ヒトラーは戦争を起こそうとしなかったでしょう。
 アメリカとソ連の対立が冷戦のまま終わったのも、両国が常に戦争も辞さない姿勢を守っていたからなのです。常に緊張状態にあったが故に、かえって一度も戦争にならなかった。

まず徹底的に戦争の研究をするのが平和国家の使命というものでありましょう。戦争がなぜ起こるのか、その理由を知らずして平和を得ることはできません。……世界一の平和大国になりたければ、世界一の戦争通になる必要があるということです。(187P)

私が最も尊敬する人物、吉田寅次郎松陰先生も、兵学者(軍事学者)です。西郷隆盛、彼は軍人。乃木将軍、東郷元帥、これも軍人。神武天皇明治天皇昭和天皇、みんな大元帥。軍事と無縁な人間で尊敬に値する人物というと、なかなか思いつきません。源義経楠木正成、これも武士(軍人)ですから。ガンジー? いえいえ、インド独立の父はチャンドラ・ボースではないでしょうか。なぜなら、インド独立のきっかけとなったのは、イギリスがインド国民軍(ボースが率いていた)を反逆罪で裁こうとしたことだからです。憲法第9条関係の話はこれでおしまい、次回へ続きます。

日本人のための憲法原論

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