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小室直樹の「痛快!憲法学」を読む 第5章

人権とは

前回は、予定説を信じるプロテスタントは信仰がどんどん強くなっていく、という話でした。今回は予定説はまず置いておいて、人権の話から始まります。「人権」という概念については、以前に書いたことがありますので、以下も参照してください。
http://zinkenvip.fc2web.com/antho.html#014
さて、本書に戻って。

そもそも人権というのは、万人に平等に与えられるもの。人間でありさえすれば、誰にでも無条件で与えられるというのが人権の概念です。しかるに、「少年の人権」とは誤用もはなはだしい。子どもにだけ認められ、大人には認められない権利があるとしたら、それは子どもの「人権」とは言いません。それは、子どもの「特権」です。だから、少年法の問題にしても、「少年に特権を与えよ」という論説を書くべきなのです。(77P)

 中世には誰もが特権を持っていました。万人に共通の権利である人権はありませんでした。憲法や議会とは違って、人権はデモクラシーと同時に生まれます。では、いかにして生まれたか。そこで予定説です。ゴッドは誰が救済されるか、誰がキリスト教を信じるようになるか、誰がどのような人生を送るか、そのようなことはもちろん、宇宙に存在するあらゆるものを創造しました。物理法則から、あなたの今日の夕飯まで、何もかも神が創造、予定したということです。微生物の一匹一匹、今年の桜が咲く日程、何気なくするオナラ、何もかも創造したのです。考えていると気が変になりそうですが、キリスト教ではゴッドはそのような存在なのです。それと比べて人間の存在の何と小さなことか。あまりにも神が偉大すぎて、偉大だと言われている人間(例えば国王)が取るに足らなく感じてきます。神と比べれば、人間同士の違いなど、ミジンコの徒競走のようなもの。あまりに小さいことです。
 人間はみんな同じ人間で、小さな存在である。違いなどない、みんな神の下では平等である。ここから人権という概念が生まれたのです。また、伝統主義(過去に行ってきたことは全て正しい。過去の慣習と違うことはしてはならない)も消え去りました。なぜなら、過去に行ってきても神の意思に反するなら、正しくないからです。
 予定説を信じるピューリタンたちの革命(清教徒革命)がイギリスで起こりました。リーダーのクロムウェルは代々国王の重臣だった家の人ですが、最後は国王を処刑してしまいました。

予定説が資本主義を生んだ

 予定説が生んだのはデモクラシー、人権だけではありません。資本主義もまた、プロテスタンティズムから生まれました。古今東西、経済が発達した地域はいくつもありますが、近代資本主義が発生したのは西欧だけでした。

近代資本主義が誕生するには、資本、すなわち金儲けを真っ向から否定する思想がなくてはならない……近代民主主義の平等や人権という概念が生まれるのには、人間の価値を徹底的に否定する予定説の教えが必要だった……近代資本主義の成立もまた同じです。利潤を追求する資本主義が誕生するには、まず金儲けそのものが徹底的に否定される必要があった。その資本否定の思想とは、他でもない、あの予定説なのです。(85P)

まずキリスト教の母体となった旧約聖書は、利子を禁じている。カルヴァンは金儲けも怠惰も駄目、芸術も娯楽も駄目だと考えた。遊びを禁じた結果、人々はお金をあまり消費しなくなった。その一方で、自分の職業は神が予定したものであるとする「天職」という考え方が生まれた。そして天職に一生懸命に励むことが良きキリスト教徒だとされた。勤勉である上に無駄遣いがないのだから、お金は貯まる一方。これを行動的禁欲といいます。行動的禁欲とは、一つの行動に集中して、他は一切わき目も振らぬこと。パウロの伝道や修道院の中にあった行動的禁欲が、宗教改革によって全ての職業の人間に燃え移りました。

労働はキリスト教が教える隣人愛の実践にもつながります。なぜなら、他人が求める商品やサービスを提供すれば、それだけ隣人愛を行ったことにもなる。だから、ますます働くことは正しくなった。(92P)

これによって、どんどんお金が貯まっていく。お金儲けが目的なのではなく、労働自体が目的なのです。また、隣人愛であって利潤が目的ではないので、定価販売が一般的になりました。前近代社会(前期的資本経済)では、定価というものはありません。正しい方法で得た富は、天職の労働と隣人愛の実践の結果ですから、正しいものとされました。お金儲けは正義となったのです。あくまで目的は労働なのですが、それでも結果として、お金儲けは正義となりました。このようにしてプロテスタンティズムの倫理から「資本主義の精神」が生まれました。そしてどのくらい隣人愛を実践したかは利潤の量によって分かります。つまり利潤が多いほど、多くの人が商品を買ってくれた、多くの人の役に立ったということですから。そこで利潤を最大にするための目的合理的経営が行われるようになりました。この3つの点、労働は神聖である、利潤は正しい、目的合理性、これが資本主義の大きな特徴です。では、次回に続きます。