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小室直樹の「痛快!憲法学」を読む 第3章

日本人の勘違い

「民主主義と憲法とは、本質的に無関係である」……みんながデモクラシーの基本要素だと思っている議会制度も、多数決の制度も民主主義とは本質的には何の関係もない。……憲法や議会などという制度はデモクラシーという考えが生まれるずっと前からあったものです。(34P)

 では、もともと憲法や議会という制度は何のためにあったのか。話は中世ヨーロッパに移る。この頃、ヨーロッパは封建領主といって、農奴と領地を持った大地主たちが支配していた。その数はとても多く、まだ国家はなかった。封建領主たちは時に争うことがあったが、その調停のために国王というものが出てきた。しかし、その権力はとても小さかった。国王も封建領主の一人に過ぎなかった。近代の国王はキングだが、中世の国王はレックスという。このレックスと封建領主とは、契約によって主従関係を結んでいた。日本と違い、ビジネスのような関係だ。その契約ももちろん、日本人が考えるような「私に従うこと」というような条項はない。こういう場合はこうせよと、細かく規定されている。
 中世ヨーロッパの王国には国境も国土も国民もなかった。なぜかというと、封建領主は複数の国王と契約を結ぶことができたからです。そのため、どこまでが王国の国土なのかという境界線がなく、そもそも国王の直轄地以外、国王が自由にすることができなかったので、国土も国民もなかったのです。

伝統主義と議会、憲法

過去から続いてきた伝統や慣習が、この時代にあっては「法」。別の言葉で言うならば、「慣習法」です。……国王が勝手に法律を作ることもできない。(40P)

これを伝統主義といいます。伝統を大切にするのは、いつのどこの社会の人でも同じですが、伝統主義とは、「過去に行われてきたことは全て正しい。今後も絶対に変えてはならない」というような考え方のことを言います。そして、当時の国王(レックス)は契約と伝統に反することは一つもできませんでした。しかし、これが最後にはキング、最強の怪獣リヴァイアサンにまで成長することになるのです。法を作ることも廃止することもできなかったレックスがキングになったのはどうしてでしょうか。
 ペストの流行によって、ヨーロッパ人の3分の1が死んだと言われています。その結果、農奴の地位が向上し、封建領主の収入は減ってしまいました。また、十字軍によって中東の進んだ文明が取り入れられました。これによりヨーロッパの商工業が発達し、彼らは国王に献金するようになりました。その代わり国王はそのお金で常備軍を作り、商工業者を盗賊から守るというわけです。
 しかしまだリヴァイアサンにまではいきません。貴族(封建領主)の特権は伝統主義によって守られています。国王は新しい税金を作ろうとし、貴族たちはそれに反対しました。そこで、新しい税金のこと、貴族の特権のことなどを議論するために、議会が生まれました。
 イギリスでは国王が慣習法を踏みにじって新たな税金をどんどん作っていました。そのため、貴族たちは特権を守るために伝統を守れと、国王をしてマグナ・カルタに署名せしめました。

このマグナ・カルタはまったく民主主義とは関係のないものだった。……王といえども「法の下にある」……また、王が慣習法を破った場合には反乱に訴えることができるということも明記された。この2つの大原則こそが、その後のイギリス憲法の柱となっていったのです。(48P)

ウィキペディアによると、

すべての条文はその後廃止されたが、前文は廃止されずに現行法として残っており、成文憲法を持たないイギリスにおいて、事実上、憲法の一部である。……なお、唯一廃止されずに残っている前文は、抄訳すると、「国王ジョンは、以下の条文を承諾する」という内容である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/マグナ・カルタ

デモクラシーは、特権を守ろうとする貴族たちの戦いから出発した。

多数決が正しいとは限らない

多数決は効率的に物事を決めるための、一種の便法です。多数決で決まったことが正しいなどとは、誰も保障していない。(50P)

多数決よりも上位にある原理など、いくらでもある。議会なら憲法。一般人においては法律や宗教がそうだ。特にイスラム教徒ならイスラム法、というように明確な法がある場合もある。それから、50P欄外に

アメリ連邦議会には「フリー・バッター」制度が設けられていて、少数意見を持つ議員の演説時間は制限しないことになっている。……また、連邦議会の議事進行では、多数派と少数派の差が少ない場合、なるべく話し合いで妥協点を見つけるという慣行がある。

これらの原理を用いなければ、多数決は数の暴力になってしまうのだ。さて、次回へ続きます。