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私の憲法論(帝国憲法を考える)

[book]丸山眞男平泉澄(植村和秀)
http://d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070326/1174920193
昨日のこの記事で主権者論という小見出しを使ったが、ここで詳しく述べる。


 大隈重信はこう言った。

明治天皇はこの憲法という大切な宝物を我々に下さったんである。爺さんにも婆さんにも私にも国民皆に同様下さったんである。これを守ると家が栄え、国が栄え、身体も強くなる。大切なものを下さった。色々の有りがたい事の源はこの憲法から来て居る」(小室直樹天皇恐るべし」141P)

 なぜ帝国憲法明治憲法)は「家が栄え、国が栄え、身体も強くなる」「大切な宝物」であり、「色々の有りがたい事の源はこの憲法から来て居る」のか。さすがに誇張に思える部分はあるが、大筋では正しいと思うので、以下に説明したい。

朕が後嗣及び臣民の子孫たる者をして永遠に循行する所を知らしむ
朕が現在及び将来の臣民は此の憲法に対し永遠に従順の義務を負ふべし
憲法発布勅語より)

 現代語にすると「私の子孫とお前たちの子孫に永遠に遵守させる所を教える」「現在と将来の我が臣民はこの憲法に対し永遠に従順の義務を負うべし」といったところか。ここで重要なのは明治天皇の御子孫まで含まれているところだが、実際には明治天皇御自身も含まれていたと言っていい。そしてさらに大切な点は、「永遠に」である。このことは後に解説しよう。
 勅語だから天皇陛下のお言葉であるが、ここで偉そうだと感じた人は素晴らしい。その通りだ。「この憲法に対し永遠に従順の義務を負うべし」は主権者の言葉であり、「偉そう」ではなく「とてつもなく偉い」のだ。なぜ主権者の言葉なのかというと、憲法を制定できるのは普通は主権者だけだからである。帝国憲法は欽定憲法といって、君主が国民に与えたのである。そして主権者は宇宙における唯一神のごとく、国家における唯一の権力者である(国民主権ならば国民が唯一の権力者である)。「偉そう」どころか、まるで神のごとく何でもできる「とてつもなく偉い」存在なのだ。
 ここで「戦前は天皇主権だった」と早合点してもらっては困る。天皇には拒否権がなかった。例えば日清戦争開戦の時のこと。戦争に反対だった明治天皇は何と言ったか。これは朕の戦争ではない、とか何とか。そこまで言うなら、当然政府や軍隊に命令して戦争をやらせない、と思うが。ご存知の通り、日本は清国と戦争した。もしかしたら明治天皇は拒否権を持っていたかもしれない。しかし、行使しなかったことが重要。これが慣例となり、憲法改正占領憲法)まで一度も拒否権を行使したことはない。
 これすなわち立憲君主制。そして一種の民主制。民主という言葉が嫌いなら、民本政治。しかし、日本の他に自分から立憲君主になった王様は、まあほとんどいない。

君主の目標が民本の政治……それが法文の上に明記せられてをりますものが、即ち明治天皇の欽定憲法にほかならない(植村和秀「丸山眞男平泉澄」318P、平泉澄の言葉)

また、昭和6年か7年、秩父宮天皇親政にしてはどうかと提案したのに対して、昭和天皇

憲法の停止のごときは明治大帝の創制せられたるところのものを破壊するものにして、断じて不可なりと信ず。
黒田勝弘、畑好秀「昭和天皇語録」24P)

世界の歴史を見ると制限君主制の下ではその制限を破ろうとするのが君主で、破らせまいとするのが議会であるというのが普通の形態であり、いわゆる「国王と議会との闘争」が繰り広げられてきたが、日本では「憲法停止・御親政」すなわち天皇独裁を主張する有力な勢力があるのに、君主すなわち天皇自身が頑なにこれを拒否し、一心に「制限の枠」をその自己規定で守っている。世界史に類例がない不思議な現象である。
八木秀次女性天皇容認論を排す」97P、山本七平氏の言葉)

 この状態では天皇は普通の意味での主権者とは言えまい。では主権はどういう状態にあるのか? まず自然状態(憲法がない状態)を考えてみると、当然だが主権者は天皇。そして憲法が制定された。主権はどうなった? 答えは、国民に移った。では主権は天皇とは無関係になったのか? そんなことはございません。天皇には憲法を廃止するという選択肢が残っている。どういうことかというと、デモクラシーという原理は天壌無窮とは限らない。数十年ならともかく、数百年、数千年経ったらどうなる? 時代遅れもいいところかもしれない。それにもかかわらず「永遠に従順の義務を負ふ」からと、そのままにしておいていいのか。と考えると、天皇だけが憲法を廃止する権利を持っているはず。しかし、このような場合は普段は無視しておいてよい。では、普段の天皇は? 立憲君主。主権とは無関係。一方、国民も「憲法のある間」だけ主権者なのであって、主権の本来の所有者が天皇であることは、頭の片隅に残しておかねば。
 このように考えてくるとき、機能においては欧米のデモクラシーとかなり近いが、その理論は全然違うことが分かる。

抵抗権と革命権

デモクラシーである以上、人民は抵抗権と革命権を持つ。これは独裁者と戦う権利である。しかし、国家権力と戦う場合でも、天皇だけは相手にしてはならない。つまり革命に成功しても、新政府の元首は天皇であり、新憲法が制定されることもない。また、これらの権利は右翼や左翼のテロの理由にはならない。相手にしていいのは独裁者だけであり、デモクラシーが死んだ場合のみに限られる。

憲法改正

護憲とは憲法の機能を維持することであり、憲法が古くなると機能しなくなってくる。その場合は適宜改正が必要となる。明治憲法は「不磨の大典」とされ、改正されることがなかった。しかし、憲法改正憲法自体に規定されていることで、正常な立憲政治のためには絶対に必要なことである。

帝国憲法の弱点

上のほうに「天皇だけが憲法を廃止する権利を持」つと書いたが、デモクラシーが時代遅れになったなど特殊な理由があるわけでもないのに、暴君が現れて独裁者になろうとしたらどうする。臣民の道は、天皇に従うことである。もしそのような暴君が出てきたら、帝国憲法は終わりなのだ。これこそ弱点。その意味ではデモクラシーとは言えまい。しかし、どうしようもないのだ。

占領憲法無効論

 占領中の憲法改正ポツダム宣言第十条及びハーグ規定第四十三条違反である。(菅原裕「東京裁判の正体」190P参照)

ポツダム宣言 第十条 ……日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし。

民主主義的傾向の「復活強化」である以上、それは過去に存在した民主主義=帝国憲法の復活強化であるはずだ。また、連合国は次のように回答していた。

降伏の時より天皇日本国政府の国家統治の権限は降伏条項を実施するため適当と認むる措置を執る連合国最高司令官の権力下に服せしめらるるものとす……
(菅原裕「東京裁判の正体」186P)

これが終戦前日に揉めた部分である。結局、曖昧な表現となっているのは連合国の反皇室論者を納得させるためで、実際には天皇及び日本国政府の国家統治の権限を認めたものであるはずだったが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ハーグ陸戦条約
第43条[占領地の法律の尊重] 国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限、占領地の現行法律を尊重して、成るべく公共の秩序及生活を回復確保する為、施し得べき一切の手段を尽すべし

フランス第四共和国憲法第九十四条の「本国領土の全部または一部が外国軍隊の占領下にある場合には、いかなる改正の手続きも、これに着手しもしくは継続することができない」との規定や、西ドイツの基本法第百四十六条の「この基本法ドイツ国民が自由なる決定によって議決した憲法が効力を生ずる日において、その効力を失う」(菅原裕「東京裁判の正体」190P)

 このような国際慣行を無視して占領憲法は制定された。制定したのはGHQであるから、GHQ主権憲法と表現する他なく、本来は占領終了とともに帝国憲法に戻るはずだった。もし現在の日本国憲法を改正したら、どういうことになるのか? 占領軍が制定した憲法を国民が認める、というおかしな状況になる。では新しい憲法を作ったら? いやいや、その場合は主権者は誰になるのだ。国民か? それでは革命になるではないか。なら天皇が新しい憲法を国民に与える? それなら帝国憲法に戻せばすむ話。
 憲法は絶対である。契約である。この考え方は、日本の場合は欽定憲法でなければ出てこないのだ。日本の憲法大日本帝国憲法明治憲法)しかありえないと考える所以である。占領憲法は占領が終わった日に国会が無効を宣言すべきものであった。今でもそれは同じで、国会が宣言すればすぐにでも帝国憲法は復活する。占領憲法には正統性がないのだ。もし無効を宣言しなかったらどうなる。日本には(現時点で)55年間も占領憲法が存在し、そして新憲法が生まれた、という空白が生まれる。それならまだマシで、改正の場合は今後も連合国主権が本質的には続く。私の考えは、占領憲法無効宣言、帝国憲法改正、これである。しかしながら、それを現実にするにも、また実現した後に帝国憲法を機能させるためにも、尊皇思想が国民全体に復活しなければならない。このように考えると、今後も少なくとも数十年は日本に真の憲法はなく、真のデモクラシーもないであろう。